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我が生活
わがせいかつ
作品ID55785
著者中原 中也
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-05-19 / 2018-04-26
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治座に吉右衛門の勧進帳が掛かつてゐる、連日満員である――と電車の中で隣り客の話してゐるのを聞いて、なんとなく観に行きたくなつたのであつた。観れば何時もながら面白く感ずるのだが、観るまでは大変憶怯で、結局一年に一度か二度しか歌舞伎を覗くことはないのが私のこれまでである。「観たいな……観よう!」と、電車が濠端を走つてゐる時思ひ定めた、「でもまた観ないでしまふんだらうな」とそのすぐあとでは思ふのだつた。明け放された窓からは初夏の風がサカンに頬や帽子の鍔に吹きつけてゐた。

 それから二三日してからのことであつた。朝十一時に目が覚めた。これは私にしては、余程早起きなのであつた。私は独りで一軒の家に住んでゐて、毎夜、夜明近くまで読書する。昼間は落付かないし、出掛けてもさして面白くないので、私には朝早く起きることは大変時間の損失なのだ。それで何時も目が覚めるのは、大抵午後の二時頃だ。
 で、「今日明治座に行けばゆける」と思つた。

 本を売つて一円五十銭ばかり出来ると、明治座の見料が出来た。それから往復の電車賃を差引くと、やつと五等の入場料が残るだけで心細かつた。三時半から、夜の十一時近くまで、食事は取れないといふことになつたが、煙草を吸つて、水を飲んでれば、今日一ン日くらゐなんでもないと思ひながら電車に乗つた。

 切符売場前の長い列の、私は最後の方だつた。私がノロクサと三階に登つた時には、もう五人分しか席がなかつた。最も不利な位置、――花道の上に当る一番の端ッこが五つ並んで空いてゐるだけであつた。私が枡に足を蹈み込んだばかりに、肥つた四十年配の女が二人、飛び込んで来て、「ああよかつた、端ッこでもあつてこそよございました、もう五分早ければよございました、惜しいことをしました、私は今朝から一服もしません、ええでも一ト幕見てから一服することにいたしませう」なぞと、イキセキ切つて云ふのであつた。私はすつかり嫌気がさして、今貰つて来た景品の包装を破いてみた。すると三十格恰の会社員でもしてゐさうな、蝶ネクタイが出て来た。と、私の前の奴を見ると、私のよりウンとハデな蝶ネクタイを、私より五つも年取つてゐる男が持つてゐた。二人の肥つた女達は、私のや私の前の男のネクタイを見ながら、「まあ勉強しますわねえ、八十銭であんな物まで附けるのですものねえ……ええェ」と云つた。それからすぐまたなんだか役者の話なぞベチヤクチヤ喋舌り散らしてゐる。二人共大変に歌舞伎通のやうである。

 幕が開くと、「ああ好いですわねえ」とその一人が云つた、「先代萩の序幕……あの舟はしつかり出来てますわねえ、かかりますでせうねえ。」
 私は腹が立つてならなかつた。

 歌舞伎通なんてのはみんな目出度くおもひあがつてるものだ。あの感情はなんとも云へない。俗情のエッセンスだとでも名付けるよりほかはない。私は歌舞伎を観る…

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