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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題238 恋患ひ
238 こいわずらい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十五卷 花嫁の幻想」 同光社
1954(昭和29)年11月15日
初出「サンデー毎日」1950(昭和25)年8月13日号~27日号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-06-26 / 2017-04-03
長さの目安約 52 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分は、戀の病ひといふのをやつたことがありますか」
 ガラツ八の八五郎は、たいして極りを惡がりもせずに、人樣にこんなことを訊く人間だつたのです。
 素晴らしい秋日和、夏の行事は一とわたり濟んで、行樂好きの江戸つ子達は、後の月と、秋祭と、そして早手廻しに紅葉見物のことを考へてゐる時分のことでした。
 相變らず椽側に腹ん這ひになつて、不精煙草の煙の行方を眺めてゐた平次は、膽をつぶして起き直りました。いかに親分子分の間柄でも、こんな途方もない問ひを浴びせられたことはありません。
「あるとも、風邪を引くと、ツイ咽喉を惡くするが――」
 何んといふ平次のさり氣なさ――
「その聲ぢやありませんよ。戀患ひの戀で、小唄の文句にもあるぢやありませんか」
「馬鹿野郎ツ」
「へツ」
「耻を掻かせまいと思つて、よい加減にあしらつて置くのに、なんて言ひ草だ。俺は戀患ひをする柄か柄でないか、考へて見ろ」
「へエ、さうですかね、――あつしのやうな呑氣な人間でさへ、思ひ詰めると、鼻風邪を引いたくらゐの心持になるんだが」
「呆れた野郎だ。おまえのやうな人間でも、戀患ひ見てえなことをやるかえ」
「たんとはやりませんね、精々月に一度か二度」
「間が拔けて挨拶も出來やしない。月に三度も戀患ひが出來るかよ、馬鹿々々しい――見ろ、お靜は到頭たまらなくなつて、腹を抱へてお勝手口へ飛び出したぢやないか」
 この掛け合ひの馬鹿々々しさは、まさに女房のお靜を井戸端まで退散させてしまつたのです。
「ところが、その戀の病ひで、死にかけてゐる人間が、あつしの知つてゐるだけでも、五人はあるんだからたいしたものでせう」
 八五郎はおめず臆せず話を續けるのです。
「なるほど、世の中は廣いな」
「ね、驚くでせう」
「あとの四人は何處の誰だえ」
「四人ぢやない五人ですよ」
「そのうちの一人は八五郎だらう」
「冗談ぢやありませんよ、あつしなんかの相手になるものですか、高嶺の花で――」
「大層むづかしいことを知つてゐるんだな」
「これも小唄の文句で」
 平次と八五郎の掛け合ひは、危ふく脱線しさうになりながらも、巧みに筋を通して行くのです。
「ところで、その死にかけてゐるのは誰と誰だ、人の命に拘はると聞いちや放つても置けまい」
「第一番は和泉屋の伜嘉三郎、――練塀小路の油屋で、名題の青瓢箪」
「第二番は?」
「無宿者、薊の三之助、これはちよいと好い男ですよ。何んだつて、あんな野郎がまた、尋常な眼鼻立を持つてゐるんでせう」
「無駄が多いな、第三番は?」
「五丁目の尺八の師匠竹童、四番目は御家人伊保木金十郎樣の伜で、まだ部屋住みの金太郎、――名前は強さうだが、女に惚れて病氣になるくらゐだから、人間は大なまくら」
「五人目は?」
「金澤町の地主、江島屋鹿右衞門の養子與茂吉」
「六人目がお前か、五人ぢや數が惡いな」
「六阿彌陀と間…

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