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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID55855
副題287 血塗られた祝言
287 ちぬられたしゅうげん
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十九卷 女護の島異変」 同光社
1955(昭和30)年1月15日
初出「キング」1952(昭和27)年
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-07-25 / 2017-07-17
長さの目安約 49 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

發端篇



「親分、大變ツ」
 八五郎の大變が、神田明神下の錢形平次の家へ飛び込んで來たのは、その晩もやがて亥刻半(十一時)近い頃でした。
「何んだ八、お前の大變も聞き飽きたが、夜中は近所の衆が驚くから、少しは遠慮をしてくれ」
 これから寢ようとしてゐた平次は、口小言を言ひながら格子戸を開けてやります。
「それどころぢやありませんよ、大變も唯の大變ぢやねえ。お膝元の佐久間町で、花嫁が一人、新枕の床の中で殺されたんだ。あつしの家の近所だから、親類衆が束になつて飛んで來て、錢形の親分の首へ繩をつけても連れて來てくれと、――」
「よしわかつた。繩にも紐にも及ぶものか、さア行かう」
 平次は氣輕に支度をすると、八五郎と鼻面を並べて、夜の町を飛びます。
 押し詰つた二十七日、寒空一パイに星を鏤めて、二人の息は眞つ白。
「ところで、そんなに驅けて大丈夫ですか、親分」
「お前ほどは達者ぢやないが、あんまり寒いから、お能の足どりぢや反つてやりきれないよ。息がきれなきや、お前の知つてるだけ、道々筋を通してくれ」
「佐久間町二丁目の伊勢屋、――親分も知つてるでせう、界隈一番の物持で、兩替屋の組頭。質も扱つてゐるが、こちとらが腹掛や股引を持ち込むやうな店ぢやねえ」
「其家なら知つてゐるが、男の跡取りはなかつた筈ぢやないか」
「娘が二人、姉のお君に若い番頭の彌八を娶合せることになつて、今晩は祝言。三々九度の杯が濟んで、彌八とお君は型の通り、別間に引取ると、思ひも寄らぬ騷ぎだ。お床入り前に婿の彌八が小用に立つて、戻つて見ると、嫁のお君さんが血だらけになつて、床の中でこと切れてゐる」
「なるほど、それは大變だ」
「でせう。殺す相手に事を缺いて、祝言の晩に嫁を殺すなんてえのは、殺生過ぎて腹が立つぢやありませんか。ね、親分」
 八五郎はまた八五郎相應の義憤に燃えるのです。
 暮の二十七日と言つても、眞夜中近い町々は、さすがにひつそり寢靜まつて、平次と八五郎の足音だけが、霜夜の靜肅を破つて、あわたゞしく響き渡ります。
 佐久間町二丁目の伊勢屋は、物々しさにハチきれさうでした。恐怖と不安と疑惧と、わけのわからぬ混亂とが、この世の終りまで續きさうでしたが、土地で名を賣つた、名御用聞の錢形平次の顏を見ると、煮えこぼれる鍋に一片の氷を投り込んだやうに、忽ち壓迫的な沈默が支配して、無氣味な空氣が、家の隅々にまで行亙ります。
「これは、錢形の親分、飛んだお手數をかけます」
 老番頭の品吉が、寒空の冷汗を拭きながら、よく禿げた頭を店口に持つて來ました。
「飛んだことだつたね」
 平次は多勢の眼に迎へられて、明るい店に入りながら、一應八方へ氣を配つて見ましたが、唯もうこの事件に顛倒してしまつた人達の、硬張つた顏からは、何んにも讀み取りやうはありません。
「こちらでございます」
 老番頭の案内で、二階家の…

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