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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題289 美しき人質
289 うつくしきひとじち
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十九卷 女護の島異変」 同光社
1955(昭和30)年1月15日
初出「キング」1952(昭和27)年
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-07-29 / 2017-07-17
長さの目安約 49 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

發端篇



「親分。あつしはもう、腹が立つて、腹が立つて」
 八五郎は格子をガタピシさせると、挨拶は拔きの、顎を先に立てて、斯う飛び込んで來るのでした。
「頼むから後を締めてくれ。野良犬がお前と一緒に入つて來るぢやないか」
 錢形平次は、不精らしく頭をあげました。相變らず三文植木を眺めながら、椽側に寢そべつて、粉煙草をせゝつて居る、閑居の姿です。
「それが親分、いつもと違つて、今日は本當に腹を立てましたぜ」
「果し眼になると、お前でも少しは怖いよ。次第によつては、達引いてやらないものでもないが、一體いくらぐらゐ欲しいんだ」
「何んです、それは?」
「財布の紐が懷からはみ出して、その上あわてて居るところを見ると、その邊で飮んだ末、割前勘定が拂へなくて、友達に何んか嫌なことを言はれたんだらう」
 平次はニヤリニヤリと、シヤーロツク・ホームズ見たいなことを言ふのでした。
「圖星と言ひてえが、そいつは大違ひだ」
「さては何處かの新造つ子を口説いて、彈かれたのかな」
「そんな間拔けな話ぢやありませんよ。腹が立つてたまらねえ話といふのは斯うですよ、親分」
「まア坐れ。突つ立つての話ぢや、立つた腹の寢かしやうはねえ」
 平次はさう言ひながらも、八五郎の眞劍さに釣り込まれて、火のない火鉢を挾んで、猫板の上に頬杖を突くのでした。
 外は四月始めの良い陽氣、申刻(四時)下がりの陽は明神樣の森に傾いて、街の子供達が路地一パイに馳け廻つてをります。
「ね、親分、神樂坂小町と言はれた、十九になつたばかりの娘が一人、人身御供にあげられて、狒々見てえな野郎の弄み物にされかけて居るんだ。それを助けに行つた父親はまたお濠へ落ちて、腦天を碎いて土左衞門になつて居たとしたらどんなもんです」
「腦天を碎いた土左衞門は變だね」
「ね、親分が聽いたつて變でせう。現に死骸を見て來たんだから、あつしが腹を立てるのも無理はないぢやありませんか」
 八五郎の話は、妙に含蓄がありさうです。
「で、俺にどうしろといふのだ」
「錢形の親分でも、相手が三千石の殿樣ぢや、手の付けやうがないぢやありませんか。あつしはもう――」
「わかつた、腹が立つて/\――といふせりふだらう」
「何んとかして下さいよ、親分。十九になる神樂坂小町、ビードロで拵へて、紅を差したやうな娘が、今晩にも狒々野郎に手籠めにされるかと思ふと、あつしはもう、この世の中がいやになりましたよ」
「やれ/\、八五郎に出家された日にや、江戸中の娘達が泣くだらう。仰せの通り武家の揉め事はこちとらの手に了へねえが、人が一人殺されたとわかれば、放つても置けめえ。最初から筋を通して見な」
「斯うですよ、親分。涙ながらに申し上げると」
 八五郎は語り出すのです。
 神樂坂裏、長屋の入口に、さゝやかな小間物屋を營んでゐる市之助、もとより屋號なんかありやしません。女房の…

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