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ここが楢山
ここがならやま
副題〈母を語る〉
〈ははをかたる〉
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「小津安二郎映畫讀本 [東京]そして[家族]」 フィルムアート社
1993(平成5)年9月25日
初出「週刊朝日」1958(昭和33)年8月10日号
入力者sogo
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2014-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 母は明治八年生れ。三男二女をもうけて、僕はその二男に当る。他の兄妹は、それぞれ嫁をもらい、嫁にゆき、残った母と僕との生活が始まってもう二十年以上になる。
 一人者の僕の処が居心地がいいのか、まだまだ僕から目が放せないのか、それは分らないが、とにかく、のんきに二人で暮している。
 母は、朝早く夜早く、僕はその反対だから家にいても滅多にめしも一緒に食わない。
 去年頃までは、なかなかの元気で、一人で食事の支度から雨戸の開けたて、僕の蒲団の上げおろしまでやってくれたが、今年から、いささか、へばって家政婦さんに来てもらっている。無理もない。八十四である。人間も使えば使えるものだと、つくづく思う。それにしても、五十五や六十の定年は早すぎる。
 今住んでいる家は、北鎌倉の高みにあり、出かけるのも坂があるので、母は滅多に家から出ない。ここがもう楢山だと思っているらしい。
 若いころの母は大女の部類で、今でも年の割には大婆の方である。負ってはみないが重そうである。
たらちねの母を背負いてそのあまり
重きに泣きて楢山にゆく
 ここが楢山なら、いつまでいてもらってもいい。負って行く世話がなくて、僕も助かる。
(「週刊朝日」昭和33年8月10日号)



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