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茂吉の一面
もきちのいちめん
作品ID55955
著者宇野 浩二
文字遣い新字新仮名
底本 「エッセイの贈りもの 1」 岩波書店
1999(平成11)年3月5日
初出「図書」岩波書店、1957(昭和32)年11月
入力者川山隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-08-27 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は、これまで斎藤茂吉についてはいろいろ余り書きすぎたので、今、いくら鈍な頭をひねっても、どうしても書く事が浮かんでこない。
 さて、私の手もとに、『斎藤茂吉全集』の書簡篇に自分の持っている茂吉の手紙と葉書を提出してから後に図らず或る本にはさんであったのを見つけた、二通の茂吉の葉書がある。その一通は、スタムプによると、昭和十一年の一月三十一日(午後零時――四時)で、富士山を図案化した赤色の壱銭五厘切手の貼ってある、「石見国府址伊甘の池」の絵葉書であり、他の一通は、昭和十五年の七月十一日(午後零時――四時)のスタムプが押してある、楠木正成が馬に乗っている銅像を図案化した模様が左の肩に赤色で印刷した弐銭の普通の葉書である。
 さて、昭和十一年一月三十一日の絵葉書は、上の方に「石見国府址伊甘の池」の写真の下に、「拝啓 今般は御高著いただきいつも乍ら御同情感謝にたへませぬ 高級小説になると見さくる高峰のやうな気がいたします、今度は少しく勉強して繰返して拝読せんと存じ居ります、いつか昨年暮あたりの広津さんの貴堂の御文の評がありましたが、実に敬服しました。穂庵百穂評も誠に手に入つたものとおもひました、御母堂様御逝去後御さびしきことと存じます、」と書いてある。それから、昭和十五年の七月十一日の葉書には、「拝啓唯今御著『閑話休題』拝受大いに忝く、今度の読書の材料豊富感謝奉り候、小説に御精根傾けあらるる事尊敬慶賀無上に御座候、小生晩春よりかけて元気無之候、今度元気回復いたしたし、万々頓首、」と述べてある。(これらの葉書の文句をそっくり写したのは、さきに書いたように、この二通の葉書が全集の書簡篇の中にはいっていないからという理由もあるけれど、その他にも私に少し考えがあるからである。)
 斎藤茂吉は、なかなか腹の据わった人であった、又、前に引いた二通の葉書の文句でもほぼ想像がつくように、腹の中で如何なる事を考えていても、逢えば、誰にも、愛想がよく、人をそらさず、ずいぶん如在のない人である、それで、大抵の人は、茂吉を、「木訥」な好い人である、と思っているようである。
 ここで、さきに引いた二通の茂吉の葉書だよりを読んだ時とその後よみかえした時の感想の一端を述べてみよう。――初めの昭和十一年一月三十一日の葉書を読んで、私がまず感じたのは、いつもながらの「世辞」の甘さと「持ち上げ方」(つまり、「誉め方」)の巧みな事である、ところで、今、この文句を読みかえしてみると、その世辞には見え透いたところがあり、その持ち上げ方には煽てるような趣きがある。しかし、この葉書の文句を読んだ時は、私は、いくらか「煽て」に乗ったようであるが、たしか、その年の一月号の「アララギ」に出た、茂吉の「わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り」「息づまるばかりに怒りしわがこころしづまり行けと部屋を閉…

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