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民族の感歎
みんぞくのかんたん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「エッセイの贈りもの 1」 岩波書店
1999(平成11)年3月5日
初出「図書」岩波書店、1952(昭和27)年4月
入力者川山隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-08-26 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 斎藤さんの文学や、学問に理会のおそかったことが、私一代の後悔でもあり、遺憾でもある。勿論今の人たちのうちでは、私などが最長い愛読者であるには間違いない。ただその研究・作物を愛する道を知ることの遅れたことが、どんなに私の損失になっているかわからない。作家から言っても、千樫・赤彦と移って、其後、斎藤さんの具有する諸相を理会する時が、やっと到ったのである。それだけに、今における尊敬は、私にとって深刻なものである。が、何故もっと若い、触れ易く受けやすい時代に、斎藤さんを自分胸臆のものにしておかなかったかと思う。全面的に此人を感じることの出来たのは、今から思えば、肝腎私が、アラヽギを去って後のことであった。

松かぜは裏の山より音し来て、こゝのみ寺に しばし きこゆる
松かぜのとほざかりゆく音きこゆ――。麓の田居を 過ぎにけるらし
石亀の生める卵を くちなはが待ちわびながら 呑むとこそ聞け

こういう歌を作る境地に達した人と、しんから近づいて行って、心を重ねてものを言うことの出来ぬ寂しさを思うたことであった。その頃考えた。こういう極度に整頓した生活を表現することの出来る人が、同時に作った「石亀の歌」である。これにも尋常我々の音の感覚と変ったものが、通じているに違いない。これを唯作者の持つ特異の境地にある、異質のものと見過すのは間違っているだろう。そう思って、「がれいぢ」の歌・「ぼろ切れの如く」の歌・「ねずみの巣」の類の、それから後も続々あらわれた別殊の歌風にあるものとせられている歌の類を考え併せて行った。其作品に通じているある宗教観――或は逆に、宗教観を据えて見る時、理会の深くなるような種類――そういうものが、更にもっと底にあることを感じた。そして将来具相せられようとするものが、既に示されているらしいことをほのかに感じた。それが又後に愈著しくなって来ようとしていることを、私の心は、疑わなくなっていた。其が此人に逢う機会をなくした後の私に、気のついたことの一つであった。
 互に近く山を距てて夏を住みながら、消息せずに暮した強羅の作を、幾度も見た。特に箱根山中でも、風物の変化の乏しい所に夏毎を籠って、而もあれだけの量の作物を為している。山を距てて姥子の奥に起臥して居た私などは、唯驚歎するばかりだ。風物によってのみ作っている我々から立ち離れて、風物自身の如く、静かにたたみ込まれた心の奥を打ち出して来る事の出来る境地に達した事を意味しているのだ。これに前後して、長崎の歌があり、更に一日のうち物を言わずして過すことの多い、そうして見る風物も、何一つ親昵感を起す物なき欧洲遠行中の多量の歌。又支那・満洲の無限につづく連作とも言うべき歌々。それから近年の北海道の諸作。それらのものの上に通じていて、而もどうしてもはっきり顕れて来ない姿のあることが、思われていた。
 長い日のうちに、た…

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