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魯迅さん
ろじんさん
作品ID55961
著者内山 完造
文字遣い新字新仮名
底本 「エッセイの贈りもの 1」 岩波書店
1999(平成11)年3月5日
初出「図書」岩波書店、1955(昭和30)年8月
入力者川山隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-09-07 / 2014-09-16
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が初めて魯迅さんに会ったのは一九二七年の十月五日であったことは魯迅日記の次ぎの記入ではっきりと解ったのです。

五日雨上午寄静農 霽野信 寄季市信 寄淑卿信 欽文来 伏園 春台来并贈合錦二合 午邀欽文 伏園 春台三弟(建人)及広平往言茂源飯 訪呂虞章未遇 往内山書店買書四種四本十元二角下午往三弟寓 夜小峰邀飯于全家福(菜館)同坐郁達夫 王※[#「日+夬」、U+23161、172-7]霞(郁夫人)潘梓年 欽文 伏園 春台
 小峰夫人 三弟及広平 章錫[#挿絵] 夏[#挿絵]尊趙景深 張梓生来訪未遇 夜朱輝煌来

とある。実は魯迅さんは広東の中山大学の文学部長であったのだが、蒋介石の乱暴にとても堪えられないで脱出して上海へ来られたのであって、十月三日に着いて共和旅館に宿泊中であったのだが、それからは八日、十日、十二日と店へ来られたらしい。しかも十二日には二度も来たようです。しかし私のぼんやりは、ただのお客様として扱っておったのですが或る時買った本を東横浜路景雲里二十三号の宅へ届けて呉れといわれた時にお名前はと聞いたら周樹人といわれたので、私はビックリして
「おやあなた魯迅さんですか」
というた。これからが私との十年の親しい交りとなったのです。
 その頃魯迅さんは中国作家として或る地位をもっておられたのですネ。私が魯迅という名を知って居ったのですからネ。
 私は今もいうように日本の本を売っておったのです。魯迅さんが毎日のように来られて何冊かの本を買って帰られるのを見ると、先生が永らく日本の書物に飢えて居られたことが解りますので私はとても嬉しかったですよ。
 だから魯迅さんの体内には随分たくさんの日本の文学、思想、哲学等が蟠居していたことと思いますネー。これは或るいは私の自惚れかも知れませんが、何日も魯迅さんのことを話しているとそんなことが頭に浮んで来て一人で微苦笑することがありますネー。
 魯迅さんという人は実にきちょう面な人で積上げてある書斎の本はまことに整然と整理されておりました。日本の雑誌などでもきちんと積んであって一冊一冊の重要記事は一冊一冊に題名を書いた見出しがはさんでありました。単行本にも同じようにしてありました。
 景雲里生活の間に、北京から師弟として同行しておった許広平女史と遂に結婚されたのです。そして間もなく子供が生まれた。お産される時は日本人の病院(福民病院)であったと思います。上海で生まれた子供という意味で海嬰と命名されたのです。魯迅さん晩年の子供でしかも初児というのでとても嬉しそうでした。
 実は魯迅さんには北京に奥さんがおられたのですから、これでは二人の奥さんということになるのですが、先生はチャンと割り切っておられたようです。
「北京の方はお母さんの嫁さんです」
というておられた。つまり旧式の親と親とで勝手にきめた結婚であることを指し…

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