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神の剣
かみのつるぎ
作品ID55965
原題GLADIUS DEI
著者マン パウル・トーマス
翻訳者実吉 捷郎
文字遣い新字新仮名
底本 「トオマス・マン短篇集」 岩波文庫、岩波書店
1979(昭和54)年3月16日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2015-05-12 / 2015-03-08
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ミュンヘンは輝いていた。この首都の晴れがましい広場や白い柱堂、昔ごのみの記念碑やバロック風の寺院、ほとばしる噴水や宮殿や遊園などの上には、青絹の空が照り渡りながらひろがっているし、そのひろやかな、明るい、緑で囲まれた、よく整った遠景は、美しい六月はじめのひるもやの中に横たわっている。
 小路という小路には、鳥のさえずりとひそかな歓呼が聞える。――そしてほうぼうの広場や大通りには、この美しい穏かな都の、急がぬ楽しげないとなみが、ゆれ動き、波打ち、かすかなうなりを立てている。あらゆる国々の旅客たちは、見境のない好奇の眼で、左右の家々の壁を見上げながら、小さいのろい辻馬車を乗りまわしたり、美術館の入口の階段を昇ったりしている。
 ほうぼうの窓が開け放たれていて、中から音楽が往来へもれひびいてくる。ピアノ、ヴァイオリン、またはセロなどの練習――誠実な善意な素人的な努力である。「オデオン」ではしかし、数台のグランド・ピアノを真剣に勉強しているのが聞える。
 ノオトゥングの楽旨を口笛に吹いたり、夜になると、近代的な劇場のうしろの座席をみたしたりする若い人たちは、上着の横がくしに文学雑誌を入れたまま、大学や国立図書館を出つ入りつしている。トルコ街と凱旋門との間に、白い両腕をひろげた美術学校の前には、宮廷馬車が一台とまっている。そして表階段の一番上には、色あざやかな幾群をなして、モデルたちが――絵のような老人や子供や女たちが、アルバニア山地の服装で、立ったり腰かけたりしゃがんだりしている。
 北のほうの長い往来には、いたるところに遊惰とのんきな漫歩とがある――人々は別段、獲得慾にかり立てられたり、身を食われたりすることもなく、のどかな目的を追うて生きているのである。丸い小帽子をあみだに、ゆるい襟飾りで、ステッキを持たぬ若い芸術家たち――いろどったスケッチで家賃を払う気軽な連中は、この薄青む午前に気分をひたそうとして散歩しながら、小さな娘たちのあとを見送っている。薄茶の鉢巻リボンと、少し大きすぎる足と、かけかまいのない風儀とを持った、あのかわいらしい、がっしりした型の娘たちである。――五軒目ごとぐらいに、画房の窓ガラスが、日光にきらきら輝く。ときおり、平俗な建物の連続を破って、芸術建築が現われる。空想に富む若い建築家の手に成ったもので、幅が広く迫持が低く、奇怪な装飾があり、機智と様式にみちている。と思うと、ひどく退屈な表口についた扉が、思いがけずある大胆な即興の意匠で、流暢な線とあざやかな色とで――酒徒や水精や、ばら色の裸形などで、ふちどられていたりする。
 美術品店の陳列窓や、近代的奢侈品の売店などの前に低徊するのは、いつもそのたびにおもしろいものである。あらゆる品々の姿の中に、なんとおびただしい空想的な愉楽、なんとおびただしい線の諧謔があることか。いたるところに、彫塑や…

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