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木曽駒と甲斐駒
きそこまとかいこま
作品ID55993
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 上」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年6月15日
初出木曽駒「登山とはいきんぐ」1935(昭和10)年11月、甲斐駒「山と渓谷」1937(昭和12)年1月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2014-05-07 / 2014-09-16
長さの目安約 52 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

木曽駒

 矧川志賀先生の『日本風景論』(第三版)を読まれた人は、日本には火山岩の多々なる事という章の終りに、附録として「登山の気風を興作すべし」という一文が添えてあることを記憶されているであろう。其の(七)に中部日本の花崗岩と題して、花崗岩の大塊が富士山火山脈の西に曳き、中部日本に蟠居していることを述べ、「所謂木曾地方悉く花崗岩に成り、其の荘厳雄大なる景象を表出するは実に此岩に因る。中部日本の花崗岩中、須らく登臨を試むべきは」、鎗ヶ岳(三五三一米)及び駒ヶ岳(二五五七米)であるとし、更に「中部日本の大花崗岩塊の東に片麻岩延縁す。既にして甲斐国裡に入り、二塊の花崗岩あり、西に在るを駒ヶ岳塊、東に在るを金峰山塊と称す、共に其の延縁せる面積は些少なるも、而かも此の小塊中に高峰累々、奇抜無比。試に登臨せんか」と呼びかけて、鞍懸山(一四八三米)、駒ヶ岳(三〇〇二米)、鳳凰山(二九一二米)、地蔵岳(二七九七米)及び金峰山(二五五一米)の五座が挙げてある。この記事を読んですっかり有頂天になり、鞍懸山は措て問わず、其他の六座は二千五百米から三千米を超えた日本に於ける花崗岩の代表的高山であるから、一つ残らず登りたいものだと、心もそぞろに待ち憧れていた機会到来して、勇躍旅程に上ったのは明治二十九年の七月であった。
 この旅の主眼とするところは花崗岩の山に登ることではあったが、最初に久恋の立山に登り、次手に乗鞍岳と御岳の第二回登山とを試みたので、日数や天候に制限され、其上何といっても予備知識の不足が災いして、鎗ヶ岳と地蔵鳳凰の三山には登りそこねたけれども、両駒ヶ岳と金峰山とは思の儘に目的を果すことを得たので、可なり満足したのであった。この山旅を明治二十八年であったように書きもし話しもしたのは、全く記憶の誤りであって、近頃ふる反故と一からげになっていた雑誌の中から、幸にも駒ヶ岳の記行を載せたものを見付出したので、実は二十九年であったことが判明した。当時は歩くことにのみ身を入れて記録もとらず、簡素な旅日記のようなものさえ、既に散逸してしまったので、斯様な記憶の誤りが他にも有るのではないかと憚られて、憶い出の筆を取ることに躊躇されるのであるが、疎漏の罪は暫く寛恕を願いたい。
 駒ヶ岳のこの古い記行は、漢文調を真似た極めて簡略な記事である。それでも今読んで見ると、忘れている節を憶い出す助けとなることが少くないので、これを基として回顧の筆を加えることも一興であろうかと思って、茲に引用することにしたのである。

 信濃の中央より南に亘りて、木曾川天竜川の間に蟠れる花崗岩の大山脈あり、其最高峰を駒ヶ岳といふ、高さ八千六百尺、火山の如き広漠たる裾野を有することなく、直に鬱勃崛起して天空を刺し、崢[#挿絵]たる峰巒半霄に磅[#挿絵]して、石筍植うるが如く、危嶂時に其間に秀で、相頡頏して雲表に錯峙…

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