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春の大方山
はるのおおがたやま
作品ID55997
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 上」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年6月15日
初出「登山とはいきんぐ」1935(昭和10)年8月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2014-02-15 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 南アルプスの二、三の山が東京から望まれることが確実となったので、外にも尚お、遠い大井川奥の空から煤煙の都東京をこっそり覗いている山が或は有るかも知れない。夫を探し出すには東から眺めた山々の姿を眤と瞳の底に烙き付けて置く必要がある。この見地から農商務省出版の甲府図幅を拡げ、展望台として恰好と思われる山を物色して二つを選み出した、一は河口湖の東北に在る毛無山で、他は本栖湖の南に在る天子山脈の最高峰毛無山である。孰れも同名の山なので、互に区別する為に私等は東西を冠して呼ぶことにしていた。東毛無には既に同好の小倉君が登られて、無礙の眺望を恣にしたことを伝え聞いて居る。西毛無には未だ登った人が無いらしい。しかも東毛無よりは近く高いだけに、其展望は一層優れたものがあろうと想像して、裾野の春を賞しがてら、富士の麓を西から北に廻り、途中西毛無山に登って、夏には見られぬ多量の残雪に輝く南アルプスの大観に飽き、次手に岳北の四湖を眺め、青木ヶ原の一端をものぞいて見ようというので、四月八日の午後十一時に田部君と共に東京駅を出発した。四方に美しく発達した裾野の中でも、特に西側の景色が雄大であり変化にも富み、そこは又曾て最も壮烈な史的悲劇の行われた舞台でもあるから、其遺蹟を訪ねることは、一段と旅の興も加わることと思ったので、此方面から入ることにしたのであった。
 富士駅で身延線に乗換え、翌日の午前五時少し過ぎに大宮町に着いた。先発の松本君に迎えられて、先ず浅間神社に参詣する。夏ならば賑かであろうが、今は広い境内に人影も無い。鳥居をくぐると染井吉野や枝垂桜の交った一町余りの桜並木が八分の開花を見せて、稍紅の濃い葩からは、宵に降った雨の名残の雫がはらはらと滴っている。石の瑞牆を廻らした随身門の内にも桜が多い。それが濃緑の大きな杉森を背景として、くっきりと白く浮き出している、華やかで神々しい。普通とは少し構造を異にした社殿の朱の欄干も物さびて、懐しく心を惹く。御手洗は瑞牆の外で東の方に在る。清い水が滾々と湧き出して大きな池を湛え、溢れて神田川となり、末は潤川に注いでいる。水面からは霧が白く立ち昇って、掩いかかる常緑の闊葉樹の間に消えて行く、そこからは頻に鳴く鶯の声が洩れ聞えた。
 少憩して用意の朝食を済し、社の前から二町許西へ行って、甲府に通ずる広い道を北に向って進んだ。昔武田信玄が海道筋へ出兵する時に、屡軍押しをした道であろう。重く垂れていた雲は次第に雲切れがして青空が顕れ、五、六寸も伸びた麦畑の上では雲雀が長閑に囀り、路傍には菫、蒲公英、草木瓜、などが咲いて、春は地上に遍かった。雑木林では、ほぐれかけた木の芽がほのかに烟り、梢からは頬白の囀りが絶間なく聞えて来る。北山村で道連れになつた静岡あたりの行商人は、それを「てっぺん五粒、二朱まけた」と鳴くのだと教えた。私の故郷では「てっぺん一六…

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