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大つごもり
おおつごもり
作品ID56039
著者樋口 一葉
文字遣い新字旧仮名
底本 「にごりえ・たけくらべ」 新潮文庫、新潮社
1949(昭和24)年6月30日、2003(平成15)年1月10日改版
初出「文学界」1894(明治27)年12月号
入力者酔いどれ狸
校正者Juki
公開 / 更新2015-03-04 / 2015-02-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 井戸は車にて綱の長さ十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゆうひゆうと吹ぬきの寒さ、おお堪えがたと竈の前に火なぶりの一分は一時にのびて、割木ほどの事も大台にして叱りとばさるる婢女の身つらや、はじめ受宿の老媼さまが言葉には御子様がたは男女六人、なれども常住家内にお出あそばすは御総領と末お二人、少し御新造は機嫌かいなれど、目色顔色を呑みこんでしまへば大した事もなく、結句おだてに乗る質なれば、御前の出様一つで半襟半がけ前垂の紐にも事は欠くまじ、御身代は町内第一にて、その代り吝き事も二とは下らねど、よき事には大旦那が甘い方ゆゑ、少しのほまちは無き事も有るまじ、厭やに成つたら私の所まで端書一枚、こまかき事は入らず、他所の口を探せとならば足は惜しまじ、何れ奉公の秘伝は裏表と言ふて聞かされて、さても恐ろしき事を言ふ人と思へど、何も我が心一つで又この人のお世話には成るまじ、勤め大事に骨さへ折らば御気に入らぬ事も無き筈と定めて、かかる鬼の主をも持つぞかし、目見えの済みて三日の後、七歳になる嬢さま踊りのさらひに午後よりとある、その支度は朝湯にみがき上げてと霜氷る暁、あたたかき寝床の中より御新造灰吹きをたたきて、これこれと、此詞が目覚しの時計より胸にひびきて、三言とは呼ばれもせず帯より先に襷がけの甲斐々々しく、井戸端に出れば月かげ流しに残りて、肌を刺すやうな風の寒さに夢を忘れぬ、風呂は据風呂にて大きからねど、二つの手桶に溢るるほど汲みて、十三は入れねば成らず、大汗に成りて運びけるうち、輪宝のすがりし曲み歯の水ばき下駄、前鼻緒のゆるゆるに成りて、指を浮かさねば他愛の無きやう成し、その下駄にて重き物を持ちたれば足もと覚束なくて流し元の氷にすべり、あれと言ふ間もなく横にころべば井戸がはにて向ふ臑したたかに打ちて、可愛や雪はづかしき膚に紫の生々しくなりぬ、手桶をも其処に投出して一つは満足成しが一つは底ぬけに成りけり、此桶の価なにほどか知らねど、身代これが為につぶれるかの様に御新造の額際に青筋おそろしく、朝飯のお給仕より睨まれて、その日一日物も仰せられず、一日おいてよりは箸の上げ下しに、この家の品は無代では出来ぬ、主の物とて粗末に思ふたら罸が当るぞえと明け暮れの談義、来る人毎に告げられて若き心には恥かしく、その後は物ごとに念を入れて、遂ひに麁想をせぬやうに成りぬ、世間に下女つかふ人も多けれど、山村ほど下女の替る家は有るまじ、月に二人は平常の事、三日四日に帰りしもあれば一夜居て逃出しもあらん、開闢以来を尋ねたらば折る指にあの内儀さまが袖口おもはるる、思へばお峯は辛棒もの、あれに酷く当たらば天罸たちどころに、この後は東京広しといへども、山村の下女に成る物はあるまじ、感心なもの、美事の心がけと賞めるもあれば、第一容貌が申分なしだと、男は直きにこれを言ひけり。
 秋より只一人の伯父が煩…

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