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剣の四君子
けんのよんくんし
副題02 柳生石舟斎
02 やぎゅうせきしゅうさい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「剣の四君子・日本名婦伝」 吉川英治文庫、講談社
1977(昭和52)年4月1日
初出「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1940(昭和15)年9月~1941(昭和16)年4月
入力者川山隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-09-21 / 2014-09-15
長さの目安約 83 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

草廬の剣





 新介は、その年、十六歳であった。
 大和国神戸ノ庄、小柳生城の主、柳生美作守家厳の嫡男として生れ、産れ落ちた嬰児の時から、体はあまり丈夫なほうでなかった。
 母なる人が、青梅の実にあたって、月盈たぬうちに早産したせいだとか。――いわゆる月足らずの子であったとみえる。
「戦に出たい。戦に連れて行って下さい」
 彼も、武門の子である。合戦のあるたび父にせがんだ。
 が、父の家厳は、
「そちのような弱い肉体では、戦いに出ても物の役に立たぬ。柳生の一族は、病弱な子まで狩り出したと、敵方に笑われよう。――そういう望みは断って、むしろそちは僧侶になれ、学問をしておけ。柳生家の累代、戦に次ぐ戦に、代々何十名の戦死者があったか数も知れぬほどだ。そちの兄、康太郎も二上山の合戦に討死した。叔父御もおととしの出陣から帰らなかった。……のう、そういう人々の霊を弔うべく、僧門に入るのも意義のないことではない。そちの体の生れつきひよわいのは、一族の中から一子はそれに捧げよとの、仏天のおいいつけかも知れないのだ。宿命というものである。いらざる憂悶は抱かぬがよい」
 と、懇に諭すのであった。
「…………」
 新介は、黙って聞いているが、いつも涙をこぼした。顔を横に振るたび、その顔から涙が飛んだ。
「わからぬやつ! 女のくさったようなやつ! 嫌いだっ、あっちへ退がれっ」
 果ては、その涙へ、恐い顔を示して、家厳は大喝した。
 それも、父性の大愛から迸る声以外なものではない。
 ところが。
 ことし天文十三年の七月には、その父が好むと好まないに関わらず――子が望むと望まないに関わらず――否応のない戦火が、柳生父子を、一つ戦場に捲き落した。
 連年、鎬を削りあってきた宿敵、大和の筒井栄舜房法印順昭が麾下二十万石の領土の精兵を、挙げて、この小柳生ノ庄のわずか七千石足らずの小城ひとつを、取巻いて、
「三日のうちに踏みつぶして見せる」
 と、豪語し、そこの山上山下、野も畑も部落も、兵馬に埋めてしまったのである。
 新介は、こうした危急が、わが家の石垣の下まで迫ったのを眺めやると、
「もう父もお叱りはなさるまい」
 と、生れて初めての武者ぶるいを――恐怖の快感を、鎧の下の血は楽しむのだった。
 そして、昼夜必死の防戦に、彼は搦手から水の手までの線を死守し、父の家厳は、一族と共に、専ら大曲輪の指揮に当り、時には自身、大手の木戸まで出て、士卒と共に奮戦していた。



 石垣は血にそまった。
 その血が黒くならないうちに、次の敵が、また石垣につかまって攀じ登ってくる。
 岩石、材木、沸湯――糞泥までを、執念ぶかいその敵に浴びせかけた。
「多聞院日記」の記事によれば、この時の激戦は、三日に亙るとあるが、「柳生家家譜」には、七日を過とある――
 何にしても、相互、夥しい犠牲を出して、揉…

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