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日本名婦伝
にほんめいふでん
副題大楠公夫人
だいなんこうふじん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「剣の四君子・日本名婦伝」 吉川英治文庫、講談社
1977(昭和52)年4月1日
初出「主婦之友」昭和15年1月号
入力者川山隆
校正者雪森
公開 / 更新2014-09-24 / 2014-09-15
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 木も草も枯れ果てて、河内の野は、霜の白さばかりが目に沁みる。
 世は戦に次ぐ戦であった。建武の平和もつかの間でしかなかった。楠木正成、弟正氏たち一族の夥しい戦死が聞えた後も、乱は熄まなかった。山は燃え、河はさけび、この辺りを中心として、楠氏の軍と、足利勢との激戦は、繰返され繰返されて、人皆が、冬野の白い枯木立のように、白骨となり終らなければ熄まないかに思われた。
「……何として近づこう」
 ひとり野を歩いて行く男は考えていた。
 足利方の大将山名時氏の家来で、漆間蔵六という者だった。蔵六の顎にも霜が生えていた。五十がらみの武者である。
 蔵六はしかし武者いでたちはしていない。薬売りの持つ旅つづら一つ担って、それに似合う下人の脛当を着け、野太刀ひと腰さしていた。
「おや。……輿が行くぞ。女人のお輿らしいが」
 冬木立の間を駈けぬけ、遽に、野の一すじ道へ急ぎ出した。
 彼が、大声して、手を振ったので、先を行く輿は、
「何者?」
 と、止まったが、同時に、それを守る七名ばかりの郎党は、怪しみの眼をそろえて、長巻刀を向けたり、弓に矢をつがえかけたりした。
 蔵六は、次にまた、怪しい者でない由を呶鳴り立てた。京都で聞えている薬師の店の主だと云った。妙心寺のお書付も所持しているし、授翁和尚もよく存じ上げている。自分の家法とする金創の名薬は、以前、その授翁様を通じて、前に討死遊ばした正成様の御陣へもさしあげて、お賞にあずかったことがあると云った。
「して、その薬師が、この戦場へ何しに、また何用で、われらを呼びとめたか」
 輿の従者たちが咎め返すと、蔵六は、家法の陣中薬を、東条の城へ献納のために来たと答え、洛内の商民である自分らとしては、せめてこういうことでもするしか、朝廷への御奉公の道はないので――などと云い足した。
「いかがしたものでしょうか」
 従者のひとりは、輿の内なる若い女性に伺っていた。蔵六のことばを民草のしおらしい真心と聞いたか、[#挿絵]たけた声音の主は、計ろうてとらせてやるがよいと、内で云った。



 千早、金剛山は云わずもがなである。この辺はどんな小山も窪地も、柵や寨でないところはない。
 だが蔵六は、折ふし途中で会った内侍の供に加わって来たので、難なく要塞の本拠まで入れた。後で聞けば、輿の上[#挿絵]は、吉野の仮宮に仕える内侍所の女性で、何かのお使いで東条の城へ見えた途中であったという。
 正成の戦死して後、ここは楠氏の本城地であった。十八郷の勤皇の将士の多くは、正成と共に湊川で殉じたが、なお孤塁には三千の忠精があった。巌のような結束があった。
「――だが、屈強な者は、目立って減っているな」
 蔵六は、そう観た。
 彼が、入り込んだのは、正平二年、足利勢の細川兵部大輔や山名時氏の軍が、脆くも年少の大将楠木正行のために、一敗地にまみれて敗走し…

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