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鍋島甲斐守
なべしまかいのかみ
作品ID56060
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・43 新・水滸傳(二)」 講談社
1967(昭和42)年6月20日
初出「オール讀物」文藝春秋、1936(昭和11)年9月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-03-04 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 問う者が、
(世の中に何がいちばん多いか)
 と訊いたところ、答える者が、
(それは人間でしょう)
 と、云った。
 問う者が又、重ねて、
(では、世の中に何がいちばん少いか)
 すると、答える者が、
(それも人間でしょう)
 と、云ったという話がある。
 江戸町奉行の鍋島甲斐守は、いつもその話を思い出して、その人間の中でもいちばん多いものは悪人ではなかろうかと思い、白洲に出るたび、人間に嫌悪を感じ、常に、不幸な職に就いたものだと、人に語っていた。
 捕まえても捕まえても、街に罪悪は絶えないし、白洲は悪人を迎える事で、夜が明ると忙しかった。――いや、かえって、捕まえれば捕まえる程、意地わるく悪人の数が殖えるような気もちすらして来る。
『もう伝馬牢には入りきれません。牢普請でもしていただかなければ――』
 下役が悲鳴をあげて、こう訴えるほど、甲斐守は、職務に精励した事もあった。
 ではそれだけ、街にその時悪人が減っていたかというと、盛り場の事件も、岡場所の情痴沙汰も、夜盗も、強請も、人殺しも、文政末期の世間には相変らず瓦版が賑わって、江戸の街はすこしも澄んで来たとは見えない。
『これあいかん』
 一時は、職を辞めようかと甲斐守は思った位であった。――然し、それは在職中の二年目ぐらい迄で、四、五年もたつと、彼の考え方はちがって来た。
『よくよく思うに、世の中に、ほんとの悪人などは一人もない』
 と、人にも語り、自分もふかく信念していた。
『法然上人のようなお方ですら、御自身、十悪の凡夫だと云っておられる。親鸞上人は又――善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや――とすら明言しているのではないか。その心で観れば、世の中に悪人はいない筈だ。むしろ奉行所が無理に悪人をこしらえているに等しい』
 それから後、甲斐守はたいへん気が軽くなった。彼は法令を、人間の善美を活かすために用いるように心がけた。そして彼は、法然上人の念仏にふかく帰依して、この転機を職の心に与えてくれた宗教に絶対の信仰をもち、社会政策と宗教とを一体にして、自分の管下を、この世の浄土にしなければならないと考えていたのである。



 その甲斐守が、きょうは吟味所で、めったにない怒り方を示し、大喝していた。
『だまれっ。――最前から、何を訊ねても、ただ御尤で、御尤で、とばかり申し居って、それでは一向に量見が、わからんではないか。和解いたすのか、せぬ気か、はっきりとお答えせいっ』
 白洲には、七、八人の町人が、干鰈のように平伏していた。真中に出ている二人が公事の当人達であろう。一方は、六十ぢかい品のよい老婆で、小紋の小袖につつましく前帯をむすび、しきりと、涙をふいている。
 又、もう一方のほうは、四十五、六歳の小づくりな町人で、これも至って、気の小さい温醇な男らしく、どこかに持病でもあるのか、艶のな…

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