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大岡越前
おおおかえちぜん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「大岡越前」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年8月11日
初出「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-12-22 / 2014-09-16
長さの目安約 447 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

第一章




三人男

「犬がうらやましい。ああ、なぜ人間なぞに生れたろう」
 冗戯にも、人間仲間で、こんなことばを聞くことが近年では、めずらしくもなくなった。
 笑えるうちは、まだよかったが、この頃ではそんな冗戯が出ても、笑う者もなくなった。
「何しろ、怪ッ態な世の中になったものです。お犬様には、分るでしょうが、人間どもには何が何だか、わけが分りませんな」
 これは、庶民とよぶ人間の群の、一致していうことばだったが、人々のあたまの中は、言葉どおりに、一致してはいなかった。こういう時代の特徴として、各[#挿絵]の思想も、人生観も、三人よれば、三人。十人よれば、十人十色にちがっていた。世にたいする考えも、自分というものの生かし方も、皆、まちまちで、ばらばらで、しかも表面だけは妙に、浮わついた風俗と華奢を競い、人間すべてが満足しきッてでもいるような妖しい享楽色と放縦な社会をつくり出していた。
 夏の夜である。――元禄十四年の盆すぎ。
 蛍狩りでもあるまいに、淀橋上水堀の道もないあたりを、狐にでも化かされたような三人男が歩いていた。
「おいおい、大亀。待てやい。待ってやれよ」
「どうしたい。阿能十」
「味噌久のやつが、田ン圃へ落ちてしまやがった。まっ暗で、引っ張り上げてやろうにも、見当がつかねえ」
「よくドジばかりふむ男だ。味噌久はかまわねえが、背負わせておいた御馳走は、まさか田ン圃へ撒いてしまやアしめえな」
 べつな声が、闇の中で、
「ええ、ひでえことをいう。ふたりとも身軽なくせに。すこし荷物を代ってくれやい」
 と、田の畦を、這い上がっているようだった。
 大亀と阿能十は、おかしさやら、暗さやら、わけもなく笑いあって、
「まあ、そういうなよ。目ざす中野はもうすぐだ。辛抱しろ、辛抱しろ」
「だが、着物の裾をしぼらねえことにゃあ、どうにも、脛にベタついてあるけもしねえ」
「阿能。泣きベソがまた泣いていら。そこらで一ぷくやるとするか」
 小高い雑木林の丘に、男たちは腰をおろした。
 三人とも、二十歳から三十前。ふたりは、浪人風であり、ひとりは町人。そしてその味噌久だけが、何やら臭気のつよい包み物を首に背負っていた。真夜中、街道もあるのに、わざわざこんな闇を、この変な荷物をたずさえ、一体どこから来て、どこへ行くのか。これも時代の生んだ“分らない物づくし”のうちに入る巷の一組とでもいうのだろうか。



 どう人間を信じたらいいのか。どう世の中を考えていいのか。また、どう自分を生かしてゆくのが真実なのか。元禄の当代人には、厳密にいって、たれにも分っていないらしい。それを明らかにしてよく生命を愛しんでいる人間などは、寥々たる星のごときものであろう。
 ことに、若い者には、刹那的な享楽をぬすむほかは、なんの方向があるでもなく、希望もなかった。いまよりはまだ健康な世代とい…

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