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奇談クラブ〔戦後版〕
きだんクラブ〔せんごばん〕
作品ID56119
副題11 運命の釦
11 うんめいのボタン
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂伝奇幻想小説集成」 作品社
2009(平成21)年6月30日
初出「月刊読売」1947(昭和22)年8月
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-04-02 / 2015-03-08
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

プロローグ

「あらゆる偶然は可能だ、と笠森仙太郎は信じておりました。この広い宇宙の中で、大海の粟粒よりもはかない存在に過ぎない我々の地球が、他のもう一つの気紛れな粟粒なる彗星と衝突することだってあり得るだろうし、世界の人間が全部、一ぺんに気が違うことだって、あり得ないと断ずることはできない。プロバビリティの算出によれば、我々――いや私のような平凡人でも、随分運の廻り合せでは豊太閤ほどの出世ができないとは限らず、偉頓の富が積めないという道理は無い。幸にして私は生れながらにしてこの運の星に恵まれているのである。嘘だと思うなら、私と一緒に三角籤を買っても麻雀をやっても宜しい。如何に私がプロバビリティを支配して、これをポシビリティとなし得るかを御目にかけようではないか――笠森仙太郎は申すのであります。そんな偶然の交叉点に立って、一生を幸運の連続で暮らすことができるものかどうか、私はこの笠森仙太郎の経験を通じて、“運命”の面白さをお話しようと思います」
 例の奇談クラブの席上、話手の牧野健一は、こんな調子で始めました。古い背広に山羊[#挿絵]、不精な長髪、なんとなく尾羽打枯らした風体ですが、いうことは妙に皮肉で虚無的で、そのくせ真剣さがあります。



 笠森仙太郎が偶然を支配し得ると信ずる様になったのは、X大学の法科に在学中の頃からでした。その頃の仙太郎は、まことに弱気な青年に過ぎず、何をやってもヘマばかり演じていたのですが、試験の前にすっかり遊び過してしまって、A教授の民法の試験に、一行も答案を書くことができず、二時間という長い間、カフス釦ばかり嘗めたあげく、とうとう落第を覚悟で白紙を出してしまったことがあります。
 白紙の答案というものは、一応勇しく聴えますが、出す当人に取っては、まことに悲しききわみで、これほど悲壮なものはありません。笠森仙太郎はすっかり憂鬱になって、学校の近所の喫茶店へ入って、雑巾水のような紅茶を呑んでいると、そこへ入って来たのは、同じ級の丹波丹六という胆汁質の見本のような男でした。
「オイ、どうした笠森、大変青い顔をしているじゃないか、気分でも悪いのか」
「青くもなるよ、試験が滅茶滅茶だ」
「滅茶滅茶というと?」
「白紙を出したよ、一行も書けなかったんだ」
「なんという馬鹿なことをするんだ、一行でも書ければ点数になるじゃないか」
「俺にはそれができなかったのさ、見す見す出鱈目と知っていて、一行でも二行でも書くことは、良心に対して済まない、それよりは白紙を出してなんかの偶然を待つ方が宜い――」
「君は下らないモノを待っているんだね、出鱈目でも嘘八百でもせめて先生の同情に訴えて点数をかせぐ方が、白紙答案を出して落第するよりは学生として正当だよ」
「いや」
「待ちたまえ、君は一体行き当りばったり過ぎるよ。この世の中に偶然なんてものはあり得ない…

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