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源頼朝
みなもとよりとも
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「源頼朝(一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年2月11日
「源頼朝(二)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年2月11日
初出「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2016-10-06 / 2016-09-21
長さの目安約 630 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

雪千丈





「佐どの」
「佐どのうっ」
「おおういっ」
 すさぶ吹雪の白い闇にかたまり合って、にわかに立ち止まった主従七騎の影は、口々でこう呼ばわりながら、佐殿のすがたを血眼でさがし始めた。
「見えぬ」
「お見えなさらぬ」
「つい黄昏時、篠原堤へかかる頃まではたしかに、われらの中にお在したものを」
 暗然と、求める術を失った眼は、ただむなしく、十方を掃いてゆく白魔の暴威にばかり奪われてしまう。
「……もしや敵の手に」
 誰も皆、ひとつ憂いに囚われて、一瞬ほどは、眉にも睫毛にも、兜の緒にも鞍つぼにも、雪の降り積るにまかせたまま、駒首寄せて声もなかった。
 平治元年の十二月だった。
 きのう二十七日の朝から、京都に大乱の起ったらしい事は、この近江の国にもはや知れ渡っていた。四明ヶ岳や逢坂の山の彼方に、終日、黒煙が立ちのぼって見えたので、四年前の保元の乱の時よりも、こんどの合戦は大きかったにちがいないと、湖畔の駅路や宿々では伝え合っていたところへ、
(――六波羅殿のお布令ぞ。源氏の与党と見たら、捕えて突き出せ。義朝の一族と見かけたら道を通すな)
 と、平家の武士や、宿場の沙汰人たちが布令て来たので、戦争の結果も、さてはと知れ、落人や追討ちに係り合うて憂き目を見るなと云い合わせたように、二十八日の夕ともなれば、どこの宿場でも野辺の部落でも、かたく戸閉して、榾火の明りすらも洩らしている家はなかった。
「……ぜひもない」
 やがて。
 左馬頭義朝は、憮然と、諦めの声をもらした。佐殿の父である。
 年ごろ三十七、八。この中でも、眉目のすぐれていることや、黒桃花毛と名のある名馬に跨って鞍負けせぬ骨づくりなど、一目にもそれと知れよう。諸国の源氏の長者であり、六条河原の合戦にやぶれる最後までは、まだ千余の兵や、旗本の一族に守られて、
(この君なくば)
 と、頼みに仰がれていた人だった。
 都を落ちる時は、それでも同勢三、四十人は連れていたが、人目立つため、暇をやって別れたり、討たれたり……、深傷のため落伍する者もあったりして――勢多を越え渡った頃には、父子と主従、わずか八騎となっていた。
 顧みて今、義朝のまわりを見まわせば、十九歳という長男の悪源太義平、まだ十六の次男朝長の骨肉たち。
 郎党では金王丸、鎌田兵衛正清、平賀義信などであったが、このうちにいたはずの義朝の三男で、ことし十三歳になる右兵衛佐頼朝のすがたが、いつのまにか見失われてしまったのであった。
 生捕られでもしたか。
 雪にでも埋もれ去ったか。
 気丈な公達とは郎党たちも信じているが、何といってもまだ十三といっては身なりも小さい。それにまた、義朝にとっては、嫡男義平よりも次男の朝長よりも、最愛な御子であったものを――と人々はこのまま千丈の雪に埋もれようとも、探し出さないうちは前にも進めぬ心地で果てなく立ち…

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