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ゆき
作品ID56173
著者高祖 保
文字遣い新字旧仮名
底本 「高祖保詩集」 現代詩文庫、思潮社
1988(昭和63)年12月20日
初出「雪」文芸汎論社、1942(昭和17)年5月4日
入力者浜野智
校正者八巻美恵
公開 / 更新2014-06-08 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

Sine qua non



乖離



 十月。秋神の即位。――金鶯一羽、廃園のエルムの樹に通ひはじめる。



 道傍の亜灌木にある、水禽の糞。
 湖からあがる風が、弧を描いて、水霜の葉におちる。
 青い鶫が食卓にのぼりだすと、聖餐式のやうに澄んだ夜ごとが、展ける…



 手帖に一篇[#挿絵]天使園の薔薇[#挿絵]といふ詩を、書きとつた。それから、パピィニの自叙伝を読んだ。そして、ひとりで眠つた。
「灰色の靴下を穿いた秋」が、わたしの精神の罅裂の隙き間から、潜りこんでくる。



 霊感の屯。――たましひの寨。



 福音書的とは、何といふことであらう。
 海扇貝にみえる、支那団扇。
 かれが年老いたアナクレオンのやうに、雨にうたれながら詩を吐き出す、――吐き出すことそれは、一向エヴァンヂェリックではない。



[#挿絵]弗羅曼[#挿絵]とよばれる、割烹店の中二階。孔雀草の群落。
 わたしは水馬歯を刻んで、それへ該里の酒を滴らせる。秋ばかりは、金いろの時間が、燠のやうに燻つて。…


みづうみ
ほととぎす啼や湖水のささ濁り  丈艸

私は湖をながめてゐた
湖からあげる微風に靠れて 湖鳥が一羽
岸へと波を手繰りよせてゐるのを ながめてゐた
澄んだ湖の表情がさつと曇つた
湖のうへ おどけた驟雨がたたずまひをしてゐる
そのなかで どこかで 湖鳥が啼いた

私はいく夜さも睡れずにゐた
書きつぶし書きつぶしした紙きれは
微風の媒介で ひとつひとつ湖にたべさせていつた
湖 いな

貪婪な天の食指を追ひたてて
そして結句 手にのこつたものはなんにもない
白けた肉体の一部
それから うすく疲れた回教経典の一帙

刻刻に暁がふくらんでくる
湖どりが啼き
窓の外に湖がある
窓のうちに卓子がある
卓子のめぐり 白い思考の紙くづが堆く死んでゐる
ひと夜さの空しいにんげんの足掻きが のたうつてそこに死んでゐる!
この夥しい思考の屍を葬らう
窓を展いて 澄んだ湖のなかへと


Sine qua non
 そなたの睡眠は、夜つぴて白く窓を埋める
 片脚あげた 噴き上げの鶴よ。

 わたしは読み飽いた「聖ヨハネ祭の夜」の頁をたたみこんで、暗い一閑張の下に、さて閉ぢようとして気づいた。
 その夜、なにせ、季節は冬から孟春に、とび超えようといふのだ。(くらい天の一方で、間遠に神々の跫音がゆききする――)

 わたしの中のわたしが、しばし恍惚とじぶんを置きわすれて、往つてしまふ。まづ、それをとり戻さなければならん。
 窺きガラスのなか、東方が白む頃あひといふに、欹てる耳のうへで逸はやく、
 ―― Chio, chio, chio, chio-chinks
     chio, chio, chio, chio-chinks …

 暁は迅い。窓はまだ睡りたりないのだ。
 …

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