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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題058 身投げする女
058 みなげするおんな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(九)不死の霊薬」 嶋中文庫、嶋中書店
2005(平成17)年1月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1936(昭和11)年12月号
入力者山口瑠美
校正者結城宏
公開 / 更新2017-09-08 / 2017-09-13
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 ガラッ八の八五郎は、こんないい心持になったことはありません。
 親分の銭形平次の名代で、東両国の伊勢辰でたらふく飲んだ参会の帰り途、左手に折詰をブラ下げて、右手の爪楊枝で高々と歯をせせりながら、鼻唄か何か唄いながら、両国橋へ差しかかって来たのは真夜中近い刻限でした。
 借着ながら羽織を引っかけて、懐中には羅紗の大紙入、これには親分の平次が、人中で恥を掻いちゃ――と一分二朱を入れてくれたのですから、自分の身上、六十八文と合せて、八五郎すっかりいい心持になったのも無理のないことです。
 折柄の月夜、亥刻(十時)を過ぎると、橋の上もさすがに人足が絶えます。
「おや?」
 ガラッ八は立止まりました。ツイ眼の前へ、人魂のようにフラフラと行くのは、後ろ姿ながら若くて美しそうな娘、何やら思案に暮れる様子で、深々と顎を埋め、襟の掛った秩父絹の袷、塩垂れてはいるが、赤い可愛らしい帯、すらりと裾を引いて、草履の足音も、ホトホトと力がありません。
 娘はガラッ八の跟いて来るのに気が付かなかったものか、よろけるように欄干に凭れると、初冬の月を斜めに受けて、鉛色に淀んだ川の水を、ジイッと魅入られるように眺め入りました。
 後れ毛を掻き上げるか弱い手、ホッと溜息を吐く様子までが、跫音を忍ばせたガラッ八には、手に取るごとく見えるのです。
 娘はしばらく涙に暮れる様子でした。が、フト、後ろからガラッ八の近づくのに気が付くと、草履を脱いで、その上に何やら紙片を置き、簪を錘にして、
「南無――」
 欄干へ攀じ登ったのです。
「危ないッ、待った」
 後ろから飛付いたガラッ八、危うく欄干を越しそうにした娘の身体をもぎ離すと、それを抱き上げたまま、力余って後ろざまによろけます。
「あれーッ、放して下さい」
 必死ともがく娘。
「とんでもねえ、放したらまた飛込むだろう。どんなわけがあるか知らねえが、死ぬのは不料簡――」
「いえいえ死ななきゃならないわけがある、お願いだから放して下さい」
 華奢で骨細な娘ですが、必死の力を出すと、腕自慢のガラッ八にも容易には押え切れません。後ろから羽交締めに、欄干へ寄せないのが精一杯。
「死んで花実が咲くものか、――第一この寒空、死にようもあるのに、身投げは季節じゃねえ、――落着いて訳を話せ」
「お願いだから殺して下さい、どうせ生きてはいられない私」
 身を揉むほどに、娘の身体がしっとり汗ばんで、薫蒸された脂粉の匂いが、揉み合うガラッ八をふんわりと押し包みます。
「どんなわけがあるにしても、こうなっては見殺しには出来ない、――俺も男の端くれだ、及ばずながら相談にも乗ってやろう、まず訳を話せ」
「…………」
「親も兄弟もあるだろう、後に残る者の歎きも考えてみるがいい」
「…………」
 娘は次第に気が落着いたものか争うのを思い止まると、ガラッ八の胸に顔を埋めて、シク…

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