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内気な娘とお転婆娘
うちきなむすめとおてんばむすめ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第三巻 評論・随筆・書簡2――『文明批評』以後」 學藝書林
2000(平成12)年9月30日
初出「改造 第七巻第八号」1925(大正14)年8月1日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-12-19 / 2014-11-19
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

『女はしとやかでなくてはいけない、をとなしくなくてはいけない』と云ふ訓しへは甚だ結構な事です。一時『新らしい女』と云ふものが盛んにはやつた時には、大変なお転婆がいろんな奇抜な真似をして人目をおどろかしました。しかし、どんな勝手な真似をしても気持の上に、或るデリカシイを持つてゐなければならないと云ふ事は、其の当時そのお転婆の一人であつた私すら痛切に感じた程でした。私達は『新らしい女』の本家本元のやうに云はれてゐましたけれど、其の頃世間に輩出した所謂新らしい女の思ひ切つた行為には驚異の眼を見はつたものです。それは本当に馬鹿々々しい、苦々しい事を沢山見せられたり聞かせられたりしました。そして、さう云ふ人達の行為が皆んな私達のした事として、見当違ひな非難攻撃を皆んな受けなければならなかつたと云ふやうな苦い経験は、いよ/\私達に、エセ新らしがり屋を浅間しがらせたのです。
 あの当時問題になつた吉原行きとか五色の酒とか云ふ事を、まるで私達のすべてゞあるかのやうに云ひなした世間の馬鹿共よりは、それをまた麗々と真似をする連中に至つてはお話にもなんにもなりません。何の考へもないたゞの模倣と云ふことが、それ程馬鹿らしく見えた事はありません。

 処がまた私は、本場の女性のデリカシイと云ふ事が其の意味を取りちがへられて、無暗と恥かしがりの模倣をする事が、旧い考へで奨励されてゐるのをも同様に馬鹿々々しいと思はずにはゐられません。
 よく見もし、聞きもしますが、活動写真の中とか電車の中などで、をとなしくとりすまして、はづかしがつてゐる女の弱味につけ込んで、飛んでもない不都合を働く男があります。少し確つかりしてゐるものなら、たとへ口へ出して詰責しないまでも、態度で詰れば大抵逃げて行くものなのです。しかし、黙つてたゞ迷惑さうに、恥かしさうに体をねぢつたりしざつたりする位では、さういふいたづらでもして見る位の図々しい男は益々図に乗る位のものです。私などは、さう云ふ不都合な図々しい奴は大勢の中で赤恥をかゝして以後そんな真似をさせない位のつもりで、詰責する事位は当然だと思ひますが、普通の女らしいしほらしさを捨てかねる人達には、さうも思ひ切つてやれないのが当然でせう。けれども、兎に角確かりした態度をとる事は是非必要な事と思ひます。
 私はよくこみ合ふ電車の中などで、こみ合ふのをいゝ幸にして、わざと身体をすりよせて来たりする不都合者に時々出遇ひます。そんな場合には、どうも表立つてとがめる訳にゆきませんから、何時もその男の顔を見ながらわざ/\足を踏んでやるとか、出来る丈け強硬にひじをつつ張つて押し返してやるとか、黙つて、出来るだけしかへしをしてやります。それからよく人の顔をヂロ/\無遠慮に何時までも見てゐる者があります。これは男に限らず女でもです。私は大抵長い間睨み返してやりますが、幾度も/\あんま…

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