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越中劒岳
えっちゅうつるぎだけ
作品ID56261
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「武侠世界」1922(大正11)年7月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2014-07-02 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日本アルプスの大立物の中で、最後に登られてしかも今でも最も人気を集めている山は、恐らく立山連峰の劒岳であろう。この山は古来登山者絶無と称せられ、望見した姿も断崖と絶壁とで成り立った岩の山であって、近く別山の頂上あたりから眺めても何処をどう登ったものか見当のつけようがない。それ所か眤と見ている中に大抵の人は恐ろしくなって、始めの勢は何処へやら、あれを登ってやろうというような考は、朝日に解ける霜のように消えてしまうのである。まず斯様な次第で登山者絶無と称されていたのかも知れない。陸地測量部の人達が怖れて進むを欲しない人夫を励して、此山の絶頂に四等測点を建てることに成功したのは明治四十年の七月であった。これで昔弘法大師が草鞋千足を費しても登り得なかったという伝説のある劒岳へ、初めて人間の足跡を印したことになった。然るに測量部員が頂上に達した時、其処に錆た槍の穂と錫杖の頭とを発見した。のみならず頂の直下でやや北に寄った所に在る岩窟の中に、焚火でもしたものか炭の破片が残っていた。この事実は明に古来登山者絶無と称せられていた山に、いつの頃か勇猛な僧侶か山伏などが、登山したことを証するものであるが、その何人であり何年頃の事であったかは、遺憾ながら知ることが出来ない。又槍の穂や錫杖の頭は、登山者が紀念の為に残したものか、或は異変の為に殪れて、持物だけが暴風にさえも吹き飛ばされずに残ったものか、それらも到底判然する時期はあるまいと思われる。
[#挿絵]
●劒岳の頂上にて発見せし槍の穂(実物は長さ一尺)

[#挿絵]
●同じく劒岳の頂上にて発見せる錫杖の頭

 劒岳は最近には測量部員に依って初めて登山された。これは疑う余地もないようであるが、有力という程でもないが兎に角競争者があるのは妙である。其競争者というのは芦峅寺の佐伯某というもので、明治三十九年の九月に、此山の裏手毛勝谷の東北面に当る緩傾斜地を登って頂上に出たようである。惜しいことには夫が本人の記述ではなく、唯だ其談話を筆記したものであるから、頗る要領を得ない書き方であるのは残念である。毛勝谷というのが劒岳の北裏にあることは未だ聞かない。私の想像する所では早月川(地図の立山川)と白萩川とに挟まれた尾根に取り付いて、そこから登ったものではなかろうかと思われる。けれども此尾根を登って絶頂へ出るには、充分二日は懸るから、登山に一日下山に一日を要すという談話と一致しない。其上若し頂上に登ったものとすれば、彼の測量部員が発見した槍の穂と錫杖の頭との中、どれか一つ位見当りそうなものである。考えると幾多の疑問が生ずるのであるが、絶頂迄は登らなかったとしても、連脈中の一峰か又は頂上近くまで登ったものと見てよかろう。そう信じて置くのが至当であろうと思う。
 かくも最初の登山或は寧ろ登山口を探すのに骨の折れた劒岳が、今では有らゆる登山路を…

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