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随筆銭形平次
ずいひつぜにがたへいじ
作品ID56321
副題15 捕物小説は楽し
15 とりものしょうせつはたのし
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(三)酒屋火事」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年7月20日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2016-10-15 / 2019-11-23
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 捕物小説というものを、私は四百二三十篇は書いているだろう。その上、近ごろは毎月五六篇は書いているから、幸いに私の健康が続く限り、まだまだこの多量生産は止みそうもない。
 私が「銭形平次捕物控」という捕物小説を書いたのは、昭和六年ごろで、「オール読物」の創刊と同時であった。最初は勿論六回と十二回でよす積もりであったが、調子に乗って十何年か書き続け(その間半歳だけ休んだが)戦争末期のオールの廃刊までに、実に百五十五回と書き続けた。
 その後オールの復活とともにまた書き続けているし「新報知」その他の新聞雑誌に書いたのを加えると、銭形だけで、ざっと三百二十篇くらいにはなっているだろう。
 ほかに「池田大助捕物日記」が約八十篇、韓信丹次、平柄銀次、隼の吉三などの捕物帳がそれぞれ五六篇ずつ、総計四百二三十の捕物小説を書いているだろうと思う。我ながらいささか呆れ返っているが、先日大佛次郎氏に逢ってその話が出ると、大佛氏は「人間業じゃないね」と酢っぱい顔をしていた。化物扱いされるようになれば、作者もまことに本懐の至りだ。
 将棋の木村名人は、十数年間、私と机を並べていた友人の一人だが、あの人は第一級の探偵小説ファンで、「あんな詭計をどうして考えるのだ」と幾度も私に訊いた。「詰将棋の題を考えるようなものさ」といつでも私の答はきまっていた。ある科学者が、同じ問いを私に出したとき、私はこう答えた。「数学の問題を考えるようなものですよ。X=0から逆に考えていくのだ」と。

 私の先生は、生前一度もお目に掛かったことのない岡本綺堂先生であったといって宜い。私の「銭形平次捕物控」は、「半七捕物帳」に刺戟されて書いたもので、私は筆が行き詰まると、今でも「半七捕物帳」を出して何処ともなく読んでいる。「半七捕物帳」は探偵小説としては淡いものだが、江戸時代の情緒を描いていったあの背景は素晴らしく、芸術品としても、かなり高いものだと信じている。
 岡本綺堂先生の真似はとても出来ないが、私の捕物小説は、その代わりもう少し探偵小説的でありたいと思った。そして同じく探偵的な捕物小説を書くなら、少しでもモラルの高いものでありたいとも念願した。私の銭形平次は平気で犯人を逃がしたが、その代わり旧式の義理人情――低俗な偽善的なものを憎み続けた。
 探偵小説は一度読むと捨てられるものが多い。本格物ほど詭計や推理に重点を置いて、人間味の温かさを忘れるからだ。私は自分の力を顧みずに、二度も三度もくり返して読んで貰える探偵小説を、捕物小説の形で書きたいと念願した。滅多に古本屋へ出てこない芸術小説――少なくとも一度読んでしまっても、容易に手離せない程の愛情を持たれる小説が書けたら、私は本当に嬉しい。勿論それは容易のことではない。恐らく――北斎ではないが――百まで生きなければ思う存分なものが書けないだろう。

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