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平次と生きた二十七年
へいじといきたにじゅうしちねん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(七)平次女難」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年11月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1957(昭和32)年9月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2016-04-14 / 2016-03-04
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

愛情主義の平次

「銭形平次」を書き始めて、もう二十七年になる。自分が生きている間は書きつづけてゆくつもりでいたが、五、六年前から眼疾が急に悪化して、どうしても筆をもつことが不可能になってしまった。二度、三度と手術をし、どうにかして書きつづけたいと努力してみたが、何分にも七十六歳の老体のことゆえ回復もむずかしかったのだろう、最近ではすっかり気力も失ってしまった。
 そんなわけで、到底筆をとれないことを覚悟した。あるいは死ぬまで書けないかもしれない、これも天命だろう。
 眼を患って、どのように眼が大切なものかが骨身にこたえてわかった。私は視力が薄れてからも人の手を借りず自分で書いてきたが、この頃は一生懸命書いても、字が字の形を成さない。五号活字ぐらいはぼんやりと読めるけれども、八ポとなると読むこともむずかしい。こういう次第でとうとう筆を折らなければならなくなったが、三百八十余篇の「銭形平次」を愛読してきてくださったみなさんに心からお礼を申上げたいと思う。
 いざ、眼のために書くことを諦めなければならないとなると、私の脳裏に浮かぶのはやはり失明のために苦しんだ先人たちのことである。ヘンデルは「光とともに天才を失う」と嘆いたが、この嘆きはそのまま私にはわかる。バッハにしても、滝沢馬琴にしても、眼が見えなくなってからの精神的な苦しみは気の毒に堪えない。馬琴の口述を嫁のお路さんが泣き泣き紙に写したというが、最後の原稿である「八犬伝跋文」はひじょうな名文である。
 私は口述をしたことがないので馬琴の真似をすることもできない。致し方のないことである。

 私の専門は法律で、大学では牧野英一先生の弟子だった。私はその頃から法律が刑罰主義であるのに一種の反感を抱いていた。人間の世界には悪があるけれども、それを取締るのに刑罰ではなく、なにか新しい法律ができたらいいのに、という願いをいつももっていた。ただ罰することだけが犯罪の解決ではあるまいという気持が常に私にはあった。
 探偵小説にしても『罪と罰』ではないが、なんでも罰することが主になっている。こういう刑罰主義への不満が私の「銭形平次」の寛大な裁き方になってあらわれていると思う。なんでも統計をとった人の話では私の捕物帳の七十何パーセントかは犯罪者を許しているそうである。その点では従来の捕物帳とはぜんぜん違っているといっていい。私は犯罪者を許す捕物帳の元祖といってもいいかもしれない。

呑気に明るく

 私は学校を出て旧報知新聞に入り、明治四十五年から昭和十二年まで新聞記者生活を送った。私が部長をしていた頃、鈴木茂三郎さんなどは私の下にいたものである。
 小説を書き始めたのは新聞記者時代、昭和の初め頃だった。冨士、講談倶楽部、キングなどにポツリ、ポツリ書き始めていたところ、当時の「オール読物」の編集長だった菅忠雄君が報知に訪ねて…

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