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井上正夫におくる手紙
いのうえまさおにおくるてがみ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻36 恋文」 作品社
1994(平成6)年2月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-06-11 / 2015-03-08
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 井上さん。
 ……あなたに手紙を書かうと思つてからもう半年になります。――と、藪から棒にかういつてもあなたには分らないかも知れませんが、去年の九月、あなたがほんたうに公園のみくに座へ出ることになつたとき、初日にあの「胡蝶蘭」といふ芝居を見て、早速「井上正夫に与ふるの書」をあなたに書かうとじつは思つたのでした。が、二三枚書いて、厭になり、そのまゝ途中でよしてしまつたのであります。
 がその後でも、新聞に何かあなたのことが出てゐたり、みくに座の前を通つたりすると、なぜかその度に、さうだ、私は一度井上君に手紙を書かなければいけなかつたのだ、といふやうな心もちを掻立てられました。
 考へてみると、一昨年の春、花月にハアゲマンの歓迎会があつたとき、かへりに松山君のところで初めてあなたにお目にかゝつた以来、大金の惜春会で一度、本郷座の楽屋で一度――私はまだあなたに二三度しか逢つてゐません。だが、私にとつては真砂座以来の深馴染、どこか銀座あたりで邂逅することでもあれば、無論私はあなたと「暫く」「暫く」位なことをいひ合ふやうな関係にあるものと、以前から固くさう思つてゐました。いまでも何うかすると、「近頃はどうしてゐます。」と、思ひもかけずあなたが、私のところへ遊びに来るのではないかといふやうなことさへときどき思はれるのです。
 ところで、私はあなたに一度話したいと思つてゐることがあります。有楽座の新時代劇であなたが「馬泥坊」をやつたときのことです。それは丁度私が慶應義塾の予科二年のときで――そのときにはまだ、小説や芝居の好きな世間見ずの苦労のない学生にしかすぎませんでしたが、忘れもしない、クラス会があつて横浜へ遊びに行つたかへり、四五人の同級のものと途中でわかれて、一人有楽町の停車場で電車を下りたのでした。
 だがもうそれは八時すぎ、丁度番組の第一の「秋の悲」の切れたところで、場内の灯火のいろがなぜか暗く疲れ切つた感じでした。――私はなんともいへない、空漠な、便りない気もちに襲はれました。
 今から思ふと、それは、五分にも足りない心細い入でした。
 やがて「馬泥坊」の幕があきました。自由劇場の一回も二回も見なかつた私にとつては西洋の芝居を舞台の上にみるのはこれが最初だといつてもいゝのでした。今でこそシヨオでもあるまいといふやうな口幅つたいこともいひますけれど、そのときはまだ、勿論シヨオについて何の知識も持つてゐず、牧師が出て来て、罪人が出て来て、シエリフが出て来て、私窩児が出て来て――さうして最後に罪人が卓の上に躍り上つて演説するまで、私はなんともいへない強い力で胸の上を圧迫へつけられるやうに感じました。――二時間あまりといふもの、私は全くあなたに依つて話されるブランコオの台詞に惹きつけられました。――私は全くあなたの真実に動かされました。
「お袋の身につけたものを欲しが…

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