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乗合自動車
のりあいじどうしゃ
作品ID56513
著者川田 功
文字遣い新字新仮名
底本 「探偵小説の風景 トラフィック・コレクション(上)」 光文社文庫、光文社
2009(平成21)年5月20日
初出「探偵趣味」1926(大正15)年2月
入力者sogo
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-06-06 / 2018-05-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 新米の刑事、――そんな事を云っては相済まんが、兎に角箕島刑事は最近警視庁へ採用された一人で、云わばまだ見習い位の格である事に間違いはなかった。――其刑事に今、守川英吉は尾行されて居る事を知って居る。
 何しろ彼は、商売仲間では隼英吉と云う名で通って居る丈けに、年は若いが腕にかけては確乎したものである。尾行られて居るのも知らない程茫然して居よう筈はない。だけど彼は、紳士としての態度を崩す事なく、落着き払って尾張町の角を新橋の方へと曲って行った。
 空風が巷の黄塵を巻いて走り、残り少なくなった師走の日と人とを追い廻していた。大きな護謨毬を投げ付ける様に、後からぶつかって来る風の塊りがあっても、鼠色のソフトを飛ばすまいと頭に手を遣ったり、振って居るステッキの調子を狂わせる様な慌て方など決して仕ないのである。
 羽子板や福寿草や安い反物など並べた露店を、ぽつぽつと拾い乍ら資生堂の前まで来ると、チョッキのポケットから金鎖を引き出した。時間は大分過ぎて居るので、軽い昼食を摂る為めに食卓へ進んで行った。
「いらっしゃいまし」忸々しく一つの笑顔が彼を迎えた。
「今日は。定食を一つ願います」
 女給はもう一度笑った。
「今日は大層温順しいのねえ」
「何時だって温順しいじゃないか」
 彼は同じ食卓に就いて居る一人の年増の貴婦人を凝乎と瞶めて居た。美人であるから許りではない。彼は婦人が一人でこんな所へ来て、驕慢らしく食事などして居るのを妙に憎らしく思う性分なのである。
「随分暫くねえ、何処で浮気して居たの?」
 先刻の女給が洋食の皿を並べ乍らそっとこんな事を云った。と、前に居た貴婦人が故意と大きく咳をした。彼の眼と女給の眼とが期せずしてぶつかった。「妬いてるんだわ」と、云って居る女給の眼であった。
 一時間近く経って後、彼は再び人混の中を分けて煙草の煙と共に漂って居た。露店が尽きて橋へ来た。彼は惰性で橋を渡って了った。芝口へ来ると急に淋しい様な気がして乗合自動車へ飛乗って逆戻りを始めた。満員で混み合う中へ来ると彼の職業意識は急に働き始めて居た。
 尾張町へ来ると客は殆んど入れ交った。が、乗って来る客の半分は依然買物に来た婦人達であった。其中に彼は先刻資生堂で卓を同じくした婦人を見付出した。更に驚いたのは、資生堂から別れて居た箕島刑事が、慌ただしく発車前に乗込んで来た事であった。
「又見付やがったなッ。あんな者は別に邪魔にはならないさッ」彼は心の裡で独語した。
 車は交叉点を横切ると、速力を緩急する毎に乗客を投付けたり、錐揉みの様にしたりしては走り続けた。恰度険阻を行く様に波打ったり傾いたりした。
「おっと危い」
 彼は思わずこう云って天井裏を這って居る真鍮の棒を堅く握り締めた。車が京橋に停った時の大動揺であった。此時彼の躯は、右脇へ来て立って居た前の貴婦人と衝突したのであった。…

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