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思い出す儘に
おもいだすままに
作品ID56543
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「山と渓谷」1934(昭和9)年9月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-06-20 / 2015-05-04
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 陸地測量部で輯製二十万分一の地図を発行するようになったのは、『陸地測量部沿革誌』に拠れば明治十七年からで、これは伊能図を基礎とし、各府県調製の地図を参酌校訂して、全国の地図を作り、一般の便に供するのが目的であったという。私が此図のあることを知ったのは、明治二十三年に上野で開かれた内国博覧会であったと思う。それが大きく一枚に張り合されて出品してあったのを見て、斯くも詳細を極めた地図があるものかとすっかり感心し、欲しくて堪らず、漸く之を手に入れて、以後旅行の度毎に此図を携帯することを忘れなかった。
 然るに詳細であると信じていた地図も、平地は兎に角一歩山に入ると一向役に立たぬのみか、迂闊に之を信用すると反てひどい目に遭うので非常に驚いた。針木峠がそうであった、阿房峠がそうであった。乗鞍はまだしも、御岳のように登山者の多い山にも登路が記入してない。或は無い方が寧ろ人を誤る虞がなくてよかったかも知れない。戸台から東駒へ登った際にも、途中で尾根を一つ踰えなければならぬと思っていたのが、尾根を登り詰めるとそこが頂上だったので、嬉しくもあり又狐にでも誑されたような感がないでもなかった。これは実測図でも期し難い地形の正確さを輯製図に求める不合理を平気で敢てした使用者に罪があると言われれば一言もないのである。
 初めて金峰山へ登って川端下へ下る折にも同じ憂目を見たのであった。御室では頂上から北に下ればよいのだと教えられたが、地図を見ると川端下は金峰から北に延びた長い尾根の東に在る。それで頂上の東寄りの岩の原が尽きた辺から、矮い偃松の中を下り始めたが路らしいものはない。偃松の丈は次第に高く、枝が張り出して動きがとれなくなる。引き返して五丈石の下から北に続く細径を辿って見たが、これもいつか心細いものとなって、一つの崩れを横切ると灌木の叢中に見失ってしまった。詮方なく川端下へ出ることは断念し、三度頂上に戻って、谷伝いに何処へでも下りられる処へ下りようと、左手の谷を目懸けて藪を潜り抜け、急峻ではあるが水のない広々した沢の上部に出た。赤土を帯びている岩の表面は、滑り気味で危険に思ったが少し下ると水が湧き出し、岩が大きくなって歩きよくなった、安心して下って行くと右から同じ位の大きさの沢が合している処で左岸に道の通じていることを発見して、それを辿って行く。道は漸く川を離れて大きな落葉松が純林をなしている原に出た。間もなく十五、六戸の人家があったので、聞いて見るとそれが川端下であったのには全く驚いた。原は即ち戦場ヶ原で、落葉松の多いことは遥に梓山の戦場ヶ原に優っていた。其後十四年を過ぎた明治四十二年の秋に南日君と再び此原を通った時には、この落葉松林も大方は伐採されて、二、三の大木が諸所に散在しているに過ぎなかったが、それすら今は見られなくなってしまった。此時も金峰の登り口が発見出来ないで、…

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