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金峰山
きんぷさん
作品ID56545
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「日本山岳会会報」1932(昭和7)年7月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-02-01 / 2015-01-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 秩父山塊の金峰山は、私の古い山旅の朧げな記憶の中では、比較的はっきりしている方である。此山の名を知ったのは小学校の何級であったか忘れたが、何でも暗射地図で甲州の北境に栗の毬殻に似た大きな山の符号があって、それが金峰山だと教えられたのが最初である。お寺を小学校に代用していた田舎のことではあるし、まだ「いろは」も碌に知らないうちから『小学生徒心得』という漢文直訳体の本を読ませたり、今でいえば尋常二年には既に『十八史略』が教科書に用いられた程、読む事に重きを置いた昔の寺子屋風が残っていた時代のことであるから、地理の教授などは極めて簡単で、大抵この暗射地図で山川都邑の名を暗記せていたのであった。勿論金峰山がどんな山であるか、夫に就て少しも知る所の無い先生は、単に蔵王権現の祭ってある高い山だと教えたのみに過ぎない。その蔵王権現も神か仏か、うるさく質問する生徒達に一喝を浴せたのみで更に説明はして呉れなかった。
 四、五年の後に東京に留学するようになって、或日上野の博物館を見物した。古代仏像の陳列室を丹念に品目だけ読んで行くと、ふと蔵王権現というのが目に付いた。高さ一尺二、三寸の銅像で、左の足で蓮花を踏み、右の足を高く上げ、左の手は腰にあて、三鈷を持った右の手を頭上に振りかざし、稍忿怒の相を帯びた半裸体のものである。之を見ると金峰山のことが想い出されて、次の機会には是非之に登りたいものだと決心した。私の金峰登山は謂わば蔵王権現の導きであるから、帰命宝蓮花を三唱して仏恩に感謝しなければなるまい。秩父の山の中で、金峰山に深い執着を感ずるのは、この為であるかも知れない。
 明治二十六年の八月上旬、妙義山を振り出しに浅間、蓼科の二山に登って諏訪に出で、塩尻峠を超えて木曾路に入り、御岳を上下し、引き返して甲府へ出た、これは武田信玄の旧蹟を訪いたかったからである。この頃の私は歴史上の好きな人物に甚しく興味を感じていたので、其古蹟には山と同じように心を惹かれたのであった。此時も八ヶ岳に登って南佐久に下り『修身節約』という小学校の読本で知った有名な孝子亀松が狼を退治した内山峠を踰えて、下仁田へ出ようかとも考えたのであるが、日頃崇拝していた信玄熱が高かったので、とうとう甲府へ来てしまった。其代りかねて宿望の金峰山に登って八ヶ岳の埋合せにしようと思っていた。然し甲府へ来て勘定して見ると、金峰山に登れば、帰郷するのに如何しても二日は余分にかかることになる、これは財布が許さない。それで止むなく昇仙峡から御岳の里宮に参詣したのみで、あとは脚に馬力をかけて、一日に十五、六里宛飛ばして、三日半で帰宅した。財布をはたくと八円貰った旅費が二銭銅貨一枚しか残っていなかった。
 明くる二十七年の十月には、志賀重昂先生の『日本風景論』が出版されたことを新聞で知った。私が漸く之を手に入れたのは翌二十八年の三月で…

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