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秩父のおもいで
ちちぶのおもいで
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「霧藻」1928(昭和3)年12月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-02-04 / 2015-01-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 秩父の数多い山の中で、高さに於ても姿に於ても、金峰山は一際すぐれて群を抜いている。御室から登る五十町の峻坂は、岩といい樹といい、如何にも山らしい感じを与えるので、決して飽きることのない路である。絶頂の五丈石は、よしや下から眺めて期待した程のものでないにしても、三角点を中心として縦横に重なり合っている大きな岩塊は、高山の生れたままの荒っぽい一面を偲ばせるものがあると共に、一方には又あの緑の毛氈を敷いたような岩高蘭と苔桃の軟い茵に、慈母の優しいふところを思わせる親しさがある。未だ若い山登りの初心者として、はじめて金峰山の頂上に立った私は、抑え難い衝動から、いきなり五丈石に攀じ登って、誇らかに昂ぶる心を満足させたのであった。そして岩を下りると、小さい灌木の青い茵にふっくりと身を埋めて、ごろりと寝ころんだまま長い間空を見詰めていた。其時私はふと今まで気が付かなかった不思議な問題にぶつかったのである。立山の絶頂では、室堂をすぐ脚の下に眺めながら、なぜあのように淋しい頼りない思いに堪え兼ねて惶しくかけ下りたのか。乗鞍岳の絶頂では、一夜を立ち明していながら、朝になってなぜ物に怯えたようにして、一歩は一歩と人里に近づくのを喜んだのか。木曾の御岳でも駒ヶ岳でも、絶えずささやかな、それでいて直ぐ心の平衡の破れるような、不安に襲われていたことを覚えている。それであるのに金峰山の頂上では、岩に登ったり草に寝ころんだりして、ゆったりした気持で、ぼんやり空を眺めている自分を見出したのである。これは又何たる相違であろう。斯くて始めて私は山の威圧というものをしみじみと感得した。山が大きければ大きい程威圧も強いのであろう。そして金峰山こそはその当時の私にとって最もふさわしい山であったに違いなかった。山を味うことを教えて呉れた山、懐かしい金峰山、これが秩父の山から最初に受けた私の忘れ難い印象である。
 しかしまだ私は後になって秩父の誇るべき特色の一であると信ずるに至った深林に対して、何等の知る所がなかった。それは深林を見なかったことを意味するのではない。見ない所か、金峰山の椈や米栂の美林、今ではもう昔の面影をしのぶたよりさえない川端下や梓山の戦場ヶ原の唐松林、十文字峠途上の昼尚お暗い針葉闊葉の見事な林、皆其中を歩いた許りでなく、白妙岩の上からは、赤沢のもくもくと盛り上った闊葉樹林の緑の波を脚下に俯瞰したのであった。が、伯楽でなければ千里の駿足を冀北の野から拾い出せない。凡眼には名家の手に成る絶大の大作も反古紙と同様である。私の盲いた目には、秩父の森林美も、あわれ名物狼餅ほどにも感じなかったのである。全く森林の美しさをはっきり知るようになったのは、渓に入ることを覚えてからであった。
 想えば私の登山慾は、明治三十八、九年をさかいとして稍間歇的になった。それが二、三年の後田部君と識るようになって…

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