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山と村
やまとむら
作品ID56555
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日初版第1刷
初出「山」1934(昭和9)年3月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-02-07 / 2015-01-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 アーヴィングの『スケッチブック』を初めて読んだとき、リップ・ヴァン・ウィンクルの話の冒頭に、カツキル連山が季節の移り更りや天候の変る毎に、いや実に一日の中でも刻々に不思議な色やら形やらを変えるので、遠近のおかみさん達から完全な晴雨計と見做されていたということが書いてあるのを見て、直に思い出したのは故郷の赤城山のことであった、そして外国にも同じような風習が自然と行われているのを非常に興味深く感じたのであった。
 私の生れ故郷である東上州の新田郡は、利根川の沖積地に属している南部を除けば、其他は東京附近の[#挿絵]※[#「土へん+母」、U+5776、298-8]と同じ赤土の硬い層から成っている。これは疑もなく赤城山から噴出された火山灰が母体を遠ざかりながらも、尚お全くは縁が切れずに、遥に離れた麓のあたりを恐らく水流に漂いつつ、次第に変質凝固して、火山に特有な美しい裾野の一部となったものであることを物語っている。その証拠には、一度にも足りない緩い傾斜ではあるが、徐ろに高まっていつしか六峰駢峙した山頂へと連っているので、遠く横から眺めると空中に高鳴りする鏑矢のような線を描いている。私の村はこの広大な裾野の東南の端の方に、一は熊野社を一は大鷲社を氏神とする二氏族が、赤城明神を産土神と仰いで、安住の居を占めた猫の額程の土地である。
 こうした考を私に起させた原因を一目に知るには、郡の東南隅に孤立している金山に登るのがよい。此山は『万葉集』に新田山と歌われ、妻覓ぎの歌垣なども行われたらしい名所であるが、高さは二百三十米許り、東側と北部は水成岩、全山の三分の二を占むる主要部は、火成岩の石英斑岩から成る山で、所々に鬼御影のような赤茶けた崩壊面を露出し、谷沿いに少許の闊葉樹が生育するのみで、全山殆ど赤松のみである。

わたしや太田の金山育ち外にきはないまつばかり

という俚謡の生じたのは至極尤もであろう。
 頂上には城跡が有り、実城の名がある。明治になって新田義貞を祀った新田神社が創設され、側に今上陛下が皇太子殿下であらせられたころ、御登攀遊ばされた記念のお手植の松がある。社前の石壇の下に在る榎の大木は、樹齢四百年を超えているであろう。俗伝には義貞の築いた城であると言われている。けれども此城は義貞に関係なく、新田の一族である岩松家純が文明元年に家臣横瀬国繁に命じて築かしめたもので、世良田長楽寺の豪僧松陰の私記に拠れば、太田道灌が武州別府へ出陣の節金山へ招待され、滞留両三日の中に只一度金山の四方を見物して、近頃名城の由褒美したとのことである。
 石段の前を少し西に下った窪地には、井戸もあれば又太郎坊(日の池)次郎坊(月の池)と称する大小二つの池もあって、水に不足することはない。城が廃された頃であろう、或男が太郎坊の鯉を盗んで次郎坊の側を通りかかると、其鯉が次郎坊と呼んだ、すると…

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