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愛の詩集
あいのししゅう
副題04 愛の詩集の終りに
04 あいのししゅうのおわりに
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「抒情小曲集・愛の詩集」 講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年11月10日
入力者田村和義
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-06-02 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私の友人、室生犀星の芸術とその人物に就いて、悉しく私の記録を認めるならば、ここに私は一冊の書物を編みあげねばならない。それほど私は彼に就いて多くを知りすぎて居る。それほど私と彼とは密接な兄弟的友情をもつて居る。
 およそ私たちのかうした友情は、世にも珍なる彼のはればれしき男性的性情と、やや女性的で憂鬱がちなる私の貧しき性情との奇蹟めいた会遇によつて結びつけられた。
 主として運命は我等を導いて行つた。
 年久しくも友の求めて居たものは、高貴なる貴族的の人格とその教養ある趣味性であつた。そして私の貴族めいたエゴイズムの思想と、一種の偏重した趣味性とは、不思議にも我が友のいたく悦ぶ所となつた。
 一方また私の求めてゐた者は、卒直なる情熱的の人格と、男らしき単純さと、明るく健康なたましひをもつた人格であつた。
 思ふに私のやうな貴族的な性情をもつて生れた人間にとつて何よりも寂しいことは、あのなつかしい「愛」の欠陥である。神は貴族とエゴイストとを罰するために彼等の心から愛憐の芽生をぬき去つた。(その芽生こそ凡ての幸福の苗であるのに。)あの偉大なるトルストイを始めとして、世の多くの貴族と生れながらのエゴイストとが、悩み苦しみて求めるものは、実にこの「生えざる」苗を求めんとして嘆き訴ふる悲しみの声に外ならない。
 之に反して、貧しき境遇にあるもの、生れながらによきキリストの血を受けて長く苦労せる人人の心には、自然とやさしい人情の種が蒔かれて居た。
 私の友、室生犀星は生れながらの愛の詩人である。
 彼は口に人道と博愛を称へ、自ら求め得ざる夢想の愛を求めんとして、苦しき努力の生涯を終りたる、あの悲しいトルストイの徒ではなくして、真にその肉体から高貴な人義的の愛を体得して生れた「生ける愛の詩人」である。
 かうして私と彼とは、互にその欠陥せる病癖を悲しみ、互にその夢想せるしかも正反対の性情の美しさを交換した。

 とは言へ、私たちが始めて会遇した主なる動機は、もちろん人間としての交りでなく、ただその芸術を通じての交歓であつた。
 その頃此の国の詩壇は傷ましくも荒みきつて居た。新らしいものは未だ生れず、古いものは枯燥しきつて居た。
 室生と私とはここに一つの盟約を立てた。我等はすべての因襲から脱却すること。我等は過去の詩形を破壊すること。我等は二身一体となりて新らしい詩の創造に尽力すること及びその他である。
 その頃、室生の創造した新らしい詩が、どんなに深く私を感動せしめたことであらう、私は日夜に彼の詩篇を愛吟して手ばなすこともできなかつた。
 実際、当時の彼の詩は、青春の感情の奔蹤を極めたものであつた。
 燃えあがるやうなさかんな熱情。野獣のやうな病熱さをもつた少年の日の情慾。及びその色情狂的情調。何ものにも捉はれない野蛮人めいた狂暴無智の感情の大浪と、そのうねりくねる所…

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