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女順禮
おんなじゅんれい
作品ID56605
著者三田村 鳶魚
文字遣い旧字旧仮名
底本 「合本江戸生活研究 第貳輯」 春陽堂
1929(昭和4)年7月23日
初出「江戸生活研究 彗星 三月號」春陽堂、1927(昭和2)年7月15日
入力者あたみ
校正者川山隆
公開 / 更新2015-01-14 / 2015-07-09
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

常憲院實紀を見ると、寶永元年八月の處に女順禮多く打むれ市街を徘徊し、かつ念佛講と稱し、緇素打まじはり、夜中人多く挑燈をかゞけ往來するよし聞ゆ、いとひがことなり、今より後停禁たるべし。
といふ禁令がある。更に寶永七年八月の禁令は同文で、『頃日また婦女順禮やまずと聞ゆ、もし此後徘徊せば、町奉行屬吏を巡行せしめ、きびしく沙汰あるべし』と附加してある。女巡禮の[#「女巡禮の」はママ]禁制は容易に行はれなかつたのであるが何故にそれほど盛だつたのか、又た如何なる弊害があつて斯く嚴重に禁制したのか。
 西國順禮、坂東順禮さては京順禮、江戸順禮など、それ/″\の處に定められたる觀音三十三所を巡拜するのだが足薪翁記には、
昔京順禮江戸順禮といふことありときけり、是は富家の婦女又茶屋物風呂屋物などゝなへし賣女の類衣裝に伊達を盡くし、笈摺胸板をかけて、實の順禮の如くいでたち、洛陽三十三所の觀音へまうづるを宮順禮と云なり、江戸順禮も又是におなじ、此事亦大阪にもあり、
といつて、例の古俳書其の他から優に旁證した上に、増補昔々物語の本文、
寛文の頃順禮と號し、笈摺をかけ、江戸中の觀音へ參詣せし事夥敷風行しとかや、其後川口善光寺へも右のごとく參詣せしが、是は開帳の内ばかりの事にて、早速止たるなり。
を引いてある。川口善光寺の開帳は明和度のことで、寶永の法令との交渉にない。又た寛文から女順禮が始まつたといふのも、沿革を知るまでゞあるか、正徳追善曾我は正徳六年の板行でもあり、殊に市川才牛十三年忌追善のものだけに、既往の光景が書いてある。其の中に寶永度に嚴禁された女巡禮の[#「女巡禮の」はママ]風姿が髣髴される。
頃日は女順禮、胸に木板のたゆるまもなく、爰の開帳、かしこの社の縁日、しやみせんに乘らぬばかり、つれふし歌、後生願ひのひる中、俗も坊主も秋ならねども、松蟲の鐘を少しもくにて、手の内に鳴せ、孫四郎節のねんぶつ滿々て、後生願ひ願のさかんなる時なれば此等の聽受の多、にぎやかなるも斷、
 此の頃のは觀音巡りでなく、開帳縁日を押廻つた。のみならず物哀れな渠の御詠歌ではなく、大變賑に唄はぬばかりの念佛だつたと見える。それに附隨して俗も坊主も鉦を叩いて囃子してあるいた。禁令が女順禮と念佛講と一束に嚴制したのを、後々の巡禮が[#「巡禮が」はママ]念佛講と別々で、決して一處同時にないのを見慣れて、如何にも不審されたが、此處で漸く彼の法文が讀めた。まして、
女順禮多くして、十二文から蓮花に入事なれば、蓮臺ふさがりたり、
といふに至つて幾度も點頭した。比丘尼といふ私娼もあつたので見れば、女順禮が賣笑した處が同邊の話である。それが際立つて新しく騷しかつたから禁制もしたのであらう。
 女順禮が賣笑する迄には段々の經過はあらう。山東京山の近世女裝考には寛文の年號のある勝山の順禮姿の古畫を收め、近松の觀音巡りは茶屋…

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