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十年……
じゅうねん……
作品ID56661
著者久保田 万太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆91 時」 作品社
1990(平成2)年5月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2014-10-30 / 2014-09-15
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ――まど子さん、何年になつたの、今度?……
 と、ぼくは、たま/\逢つたKさんの、上のはうのお嬢さんに、何んの気なしに訊いた。
 ――来年、卒業です。
 と、まど子さんは、ニッコリ、口もとをほころばした。
 ――えッ、来年、卒業?……
 ぼくは、おもはず大きな声をだして、
 ――ほんと、まど子さん?……
 と、改めて、まど子さんの顔をみた。
 ――えゝ。
 まど子さんは、もう一度、ニッコリした。
 ――へえ、それァ……
 ぼくは、おもはず今度は、溜息を……自分だけにわかる溜息をついた。……のは、嘗て、まど子さんの慶応義塾の大学の入学試験をうけるときの心配と、そして、首尾よく合格したときの喜びの幾分とを、まど子さん、及び、まど子さんのお母ァさんとゝもにわけ合つたぼくだからである。……お父さんのKさんは、ちやうど、そのとき、フランスへ行つてゐた。……そして、それが、そのまど子さんの返事を聞くまで、ついまだ、昨日の出来事のやうにしか、ぼくには思へなかつたのである……
 ――驚いたなァ、それァ……
 いつ、そんな……いゝえ、いつの間に、そんな、三年も五年もの年月がすぎたのだらう?……その間で、一たい、ぼくは、何をしたといふのだらう?……すくなくとも、一人のお嬢さんが大学に入り、やがてもう、来年は卒業するといふその間で……
 ぼくは、いまさらのやうに、ぼくをめぐつて去つた年月のかげを追ひ、身のまはりをみまはした。

     □

 東京にでゝゐて、七八日ぶりで鎌倉に帰ると、下河原の雅楽多堂といふ、文字どほりのガラクタばかり並べた古道具屋が、いつの間にか、八百屋になつてゐた。
 ――はて?
 と、ぼくは、わが目を疑つた。……しかし、みれば、その八百屋の店で働いてゐるのは、いつもの、よれ/\の古洋服を無精ッたらしく着た、もとの、矢つ張、雅楽多堂の老主人だつた。
 すれば、雅楽多堂が転業したので、代の替つたのでないことはあきらかだ。
 しかし、古道具屋と八百屋……
 判じものだ、どうしたつて、これ。……
 下河原には、もう一けん、同じやうな店がある。雅楽多堂よりはあたらしくできた……といふことは、ぼくが鎌倉に住むやうになつてからできた店だが、雅楽多堂とはちがつて、このはうは上物屋だつた。一二度、買物をしたのが縁で、顔なじみになり、ときには、必要がなくつても、ぼくは、その店のまへに立つた。……すなはち、ぼくは、そこに寄つて、道具屋、化して、八百屋になつたわけを聞いてみた。
 ――家の方たちが、いやになつたんださうです、道具屋が……
 と、年のわかいその店の主人のこたへは、しごく簡単だつた。
 ――しかし、いやになつたからつて、右からひだり、道具屋なんてものが、すぐに?……
 ――止められるか、と被仰るんですか?……
 ――と思ふけれど、われ/\にすると。……手もちのものを…

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