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悪魔の顔
あくまのかお
作品ID56701
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂探偵小説全集」 作品社
2007(平成19)年4月15日
初出「文芸倶楽部」1930(昭和5)年10月
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-10-08 / 2015-09-01
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

物騒な話題

「そんな気味の悪いお話はお止しなさいませ、それより東京座のレヴィユーが大変面白いそうじゃ御座いませんか」
 と話題の転換に骨を折って居るのは、主人石井馨之助氏の夫人濤子、若くて美しくて、客が好きで物惜みをしないというので、苟も此邸に出入する程の人達から、素晴らしい人気のある夫人でした。
 が、その美しい夫人の魅力を以てしても、其晩の話題ばかりは、何うすることも出来なかったのです。贅沢な接待煙草の煙が濛々と立ちのぼる中に、不思議な邪な陶酔にひたって、男客達は「犯罪」の話に夢中になって居たのです。
「マア、そう言うなよ」
 主人の馨之助は、丸々と肥った手を振って美しい夫人を婦人客の方へ追いやり乍ら、
「物を盗まれるのは油断があるからで、盗む方ばかり責められないと同じ筆法で、私は殺される人間もあまり賢こくないと思いますよ、つまり殺される方に油断があるから、ツイ殺し手の方も誘惑されると言ったわけでしょう、そんなもんじゃありませんかネ、ハッハッハハ」
 見事に禿げ上った前額を撫で上げ乍ら、ビール樽のような腹を揺り上げて、カラカラと笑いました。
「イヤそんな事はありません、御主人のお説が本当なら、殺される人間は皆馬鹿で、刺客の手に斃れた有名な政治家も、痴情関係で殺される市井の遊蕩児もあまり変らんことになります」
 と言うのは、此邸へ毎日のように出入して居る、芦名兵三郎という若い紳士です。旧家の若主人で、広い屋敷と、恐ろしい貧乏と、それに不相応なつまらない格式とを荷厄介にして居る青年の一人ですが、五分もすかさぬ行届いた身だしなみと、磨き抜いたような滑らかな顔に、どっか女のような陰柔な感じがあります。夫人の濤子とはわけても懇意で、表立っては「奥さん、奥さん」と言って居りますが、蔭へ廻ると「濤子さん――」と言ったような無礼な口を利くそうで、雇人達にまで変な眼で見られて居ります。
「私は石井さんのお説に賛成し度い、犯罪は滅多に偶発するもので無いから、慎重にして周密なる注意によって、大部分は未然に防ぎ得るものです」
 医学博士の酒井洪造は、楔形の顎髭を捻り乍ら、さすがに学者らしい事を言います。
「お前は何うだ、何んか面白い説は無いか」
「…………」
 主人の馨之助に声を掛けられて、ハッと息を呑んだのは、田庄平という青年紳士です。
 主人の甥に当るそうで、子供の時から此邸で育ちましたが、身体が弱い上に学者肌で、人前で口を利くのさえ痛々しいようです。先刻から立て続けに恐ろしい話を聴かされて、蒼白い上品な顔をすっかり硬ばらせて居る位ですから、人殺しに対する意見などがあるわけもありません。
「僕に、そんな事はわかりません」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、君は動物学のことしか解らない人間だっけ」
 馨之助は、甥の困り抜いたような顔を見て、如何にも面白そうに笑いこけます。
 一座は…

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