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水中の宮殿
すいちゅうのきゅうでん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂探偵小説全集」 作品社
2007(平成19)年4月15日
初出「少女倶楽部」1934(昭和9)年6月〜8月
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-11-30 / 2015-09-01
長さの目安約 55 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

父の汚名を雪ぐ――大事な使命

「お嬢様、大急ぎで鎌倉の翠川様の別荘へいらしって下さい」
「どうしたの、爺や」
「どうもしませんが、夏休になったら、泊りにいらっしゃるお約束じゃございませんでしたか」
「でも、爺や一人で不自由な事はない?」
「私はもう六十八ですもの、どんな事があったって驚きやしません」
「まア、なんかあったの爺や」
 立花博士の遺児、今年十四になる綾子は、呆気に取られて正平爺やの顔を見詰めました。
「お嬢様、それじゃ申し上げますが、――お嬢様が此処にいらっしゃると、命が危いんです」
「そんな事が爺や」
「今朝、お嬢様のお部屋のバルコニーの欄干の襖が抜けて、お嬢様がいつものように凭れれば、すぐ外れるようになっていたのを御存じでございますか」
「まア」
「あのバルコニーから落ちると、下はコンクリートですから助かりっこはありません」
「それから――」
 正平爺は綾子の耳に口を寄せました。渋紙色の皮膚や白髪になりきった頭が近々と来ると、小さい時分、この爺やに抱かれて、植物園や動物園を遊び歩いた事などを思い出して、ツイ綾子の眼は追憶の涙に濡れるのでした。
「お嬢様、そればかりじゃございません。二、三日前には――」
 正平爺やは、何やら綾子に囁きました。
「爺や、私、怖い」
「ですから、今すぐ鎌倉へいらっしゃいまし。お荷物は後からお届けしますから」
「爺やは?」
「私は此処で見張っていなきゃアなりません。私がいなくなったら、悪者共は、どんな事をやり出すか判りません」
「でも」
「お嬢様は、大事な大事な仕事を持っていらっしゃるじゃございませんか。万一の事があったら、広い世界に、誰がお父様――立花博士の恐ろしい汚名を雪ぐでしょう」
「爺や、行くワ、叱らないでね」
「誰が、お嬢様を叱るものでしょう。とんでもない」
 爺やも、綾子も泣いておりました。暫くは白髪頭と断髪と、テラスの葡萄の葉蔭に、頷き合うように揺れていたのです。

爺やが殺された――綾子の後悔

 綾子は名匠の刻んだ「悲しみの塑像」のような乙女でした。
 父立花博士は、北上川の底から平泉館の宝庫を掘り出す事を考え出し、大勢から資金を集めて仕事に取りかかりましたが、いろいろの手違で失敗した為、大詐欺師扱にされて、未決監の中で死んでしまいました。
 それは昨年の秋のこと――、後にたった一人取残された綾子は、迫害と侮辱との中に、爺やの正平を相手に淋しく暮して来たのです。
 牛込の邸には、博士が死んでから、世間の迫害に驚いて、雇人は住み付きませんが、それでも、正平爺やの外に、博士の助手をしていた滝山達郎と、その妻の三枝子が住んでいるので、綾子がいなかったところで、なんの差支もありません。
 綾子はその日の夕方、鎌倉の翠川家の別荘に着きました。主人は有名な実業家ですが、長男の健一は水泳の選手で、十八歳になった…

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