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新書太閤記
しんしょたいこうき
作品ID56758
副題07 第七分冊
07 だいななぶんさつ
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「新書太閤記(七)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年7月11日
初出太閤記「読売新聞」1939(昭和14)年1月1日~1945(昭和20)年8月23日<br>続太閤記「中京新聞」他複数の地方紙1949(昭和24)年
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2016-01-03 / 2016-01-03
長さの目安約 411 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

雛の客

 備前岡山の城はいま旺んなる改修増築の工事にかかっている。
 ここの町を中心として、吉備平の春を占めて、六万の軍馬が待機していた。
「いったい戦争はあるのかないのか」
 熟れる菜の花を見、飛ぶ蝶に眠気を誘われ、のどかな町の音響や、城普請の鑿の音など聞いていると、将士は無為に飽いて、ふとそんな錯覚すら抱くのだった。
 三月上旬の三日。――すでにかの甲州方面では、信長、信忠の指揮下に、大軍甲信国境からながれこんで、ちょうどこの日、武田勝頼は運命の非を知って、その拠城新府にみずから火を放ち、簾中そのほか一門の女性までが、天目山のさいごへさして、炎々の下から離散を開始していた日である。
 だが、ここの岡山は、折ふし上巳の節句とて、どこのむすめも女房たちも、桃の昼に化粧をきそい、家の内には、宵に燈す雛まつりの灯や、盃事の調べなどして、同じ天の下ながら、地上はまるで別な世かのように平和であった。
「おや。お早打が」
 二騎、町木戸から、ほこりを立てて、城門の方へ駈け去った馬蹄の音にも、さして事々しく、天下の急変の前駆とは、耳そばだてる者もなかった。
 ――が、城門の前へ、弾丸のように駈けついた使者は、
「黄母衣の者、山口銑蔵ですッ」
「同じく、松江伝介。ただ今もどりました」
 と、番の者へいう大声にも息を喘いで、こんどは二人同音に、
「甲州御陣へお使いして、今日帰着。通りますッ」
 と、どなる。
 番の将士がわらわらと出て来てふたりの側へ寄り集まった。何事かと思うと、たちまち一人の将は、
「やあ、御苦労。御大儀」
 と、ふたりの肩をたたいてねぎらい、その部下たちは、馬を取って、内へ曳き入れ、また使者の袖や背の埃を払ってやるのもあるし、汗拭を与えて宥るもあるし、口々に、
「お早いことで」
「遠国から一息に、大変だったでしょう」
「さあ、あれにて、湯なと召し上がれ」
 と、その労を慰めた。
 だが、使者は、髪なで直すと、すぐ足を早めて、
「一刻もはやく、君前におこたえをすまさねば」
 と、馬をそこに捨てて、もう足は駈けていた。
 秀吉はそのとき、岡山城の本丸の一室で、ことし元服したばかりの宇喜多直家の子秀家と共に、その秀家の妹たちから招かれて、雛のお客になって遊んでいた。
 八郎という幼名を、秀吉から名をもらって、秀家と改め、加冠したのはついこのあいだである。秀吉はこの遺子たちを遺して死んだ直家の心を思いやって、わが子のように、日常左右においていた。
 その妹たちはなお幼い。もとより雛のお客のもてなしは、侍く女たちがすべてするのであったが、秀吉は彼女たちが[#挿絵]々として離れないほど歓んで見せた。兄妹はいつのまにか自分たちのよい友達みたいに思って、秀吉の背なかへ絡みついたり、小さい手に杯を持って、
「もう参れぬ。参れぬ」
 と、酔うた振りして謝りぬく秀吉の唇へ、…

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