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水墨
すいぼく
作品ID56764
著者小杉 放庵
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆27 墨」 作品社
1985(昭和60)年1月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-01-01 / 2015-02-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九月二日の頃、下町の火の手怖ろしく、今にも根津の方角へ延びて来そうに見え、根津に来れば、自分の宅あたりも一なめになるかならぬかというところ、ともかく家中のものの不安が、遂に一応家財の始末をせしむる事となる、妹が、兄さんのものは何と何ですか、と問う、文徴明の軸と墨だけ、行李の隅へ入れて置いてくれと答えた。
 古の大家も、作ったもの必ずしもみな名作ならず、名作は又、どんな素人にも、永い間にはその尊い匂いを浸潤し、何かの際には、まずあの絵だけはと、持ち出して立ち退くであろう、かかることが度重なって、名作は残る場合多く、然らざるものの方が、より多く水火に亡びたであろう、私の持っている掛物らしい掛物は、文徴明の一軸のみながら、出来が良いので、いつも心にかけて粗末にせぬ。
 墨は、唐墨の古いのを、一生には用い尽すまじき程貯えた、いにしえの言葉に、墨を惜しむ事金の如しというが、金は得ることある可し、古墨の良きものは再び作られず、もし心にも手にも合った良墨であろうならば、同量の金とは換えかぬるであろう、文徴明の一軸は、良き芸術なるが故に惜しみ、十数片の古墨は、これから良き芸術を作ろうと思うが故に惜しむ。
 水墨の絵を作る程の人にして、墨の良否に関心せぬという者あらば、あれは水墨というものについて、根本的に智識なく、又愛なきものである、薪の燃えさしを以て、台所の壁に描いても、勿論、良きデッサンは獲られる、水墨の妙味は、かかる問題の外に在る、良き紙もしくは絹の上に、よき墨の色の、淡く濃くかかった味わい、淡きにも限りなき階段、濃きにも限りなき節調、水と墨、紙と絹との間に、あるいは偶然の妙趣を現わす、この偶然がホントでないという人もある、知らぬ人のいう事、予期されたる偶然は、実は偶然の部類に入らず、拙なき画人は、悪しき偶然にのみ出会い、巧みなる画人は善き偶然にのみ出会う。
 水と墨の、紙ないし絹の上に、集散離合する魔術のような美しさは視覚より深く、殆んど触覚的の撫愛を惹く、美人を品して皮膚の粗密に及ばざるは、まだ真に美人を知れりとはいわれぬ、油絵においても、名手は手触りまでも好もしく感ぜられ、凡作は然らず、他のいずれの造形美術にもまた、この差を認めるけれども、殊に東洋の水墨に濃やかな、ほのかな触覚的の魅力を見る。
 墨の古くして良きは、その粉粒が非常に細かく、膠が枯れている為に、紙や絹の繊維の目に見えぬ細さにまで透って行く、墨色は単に表面に留まるにあらざるが故に、即ち墨液が網状をなして浸みて、ある厚さの間に交わるが故に、自然に一種の深みと暖かみとを含むのである、表装をした上で、水墨の絵は三割程もその濃度を加えるというのは、この潜入せる厚さが裏付けされる為である。
 筆は羊毛をもって最適となす、羊は支那に古より多く、毛の吟味も従って古くより重んぜられている筆工の技術は、今に到っては…

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