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Sの背中
えすのせなか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「ボロ家の春秋」 講談社文芸文庫、講談社
2000(平成12)年1月10日
初出「群像」講談社、1952(昭和27)年1月
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-04-27 / 2016-03-04
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



『猿沢佐介の背中には、きっと一つの痣がある。しかもそいつのまんなかに、縮れて黒い毛が三つ、生えているのに相違ない』
 いつからか、蟹江四郎は、そう思うようになっていました。思うというより、信じるといった方がいいかも知れません。思ったり信じたりするだけではなく、時には口に出して言ってみたりさえするのです。もちろん人前でではなく、こっそりとです。七五調の新体詩みたいな調子のいい文句ですから、つい口の端に出て来やすいのでした。
 ひとりで部屋でお茶を飲んでいる時とか、道を歩いている時などに、だから彼はふと呟いています。ちょいと呪文のような具合なのです。
『猿沢佐介の背中には、節穴みたいな痣がある。そしてそいつのまんなかに……』
 それを呟くとき、蟹江四郎の顔はいつもやや歪み、表情もいくらか苦渋の色をたたえてくるようです。ふだんから突き出たような眼玉が、そんな時はなおのこと、ぎょろりと飛び出してくるように見えました。
 しかしこの七五調仕立ての文句は、その発想において、間違っていました。それは蟹江自身もよく知っていました。本来ならば、これは次のように言うべきなのです。
『三本の黒い縮れ毛の生えた、直径一糎ほどの痣が、この世のどこかに存在する。誰かの背中にきっと貼りついているのだ。その誰かというのは、あの猿沢佐介に違いない』
 つまり、猿沢の背中に痣があるかどうか、ということが問題ではなく、痣があるのは猿沢の背中かどうか、ということなのです。言葉にすれば似たようなものですが、意味から言えばすこし違っているでしょう。
 蟹江四郎は、猿沢佐介の裸の背中を、まだ見たことがありません。いや、見たことはあるかも知れませんが、どうもその印象が憶い出せないのです。夏ともなれば、暑いのだから、猿沢佐介だって肌を脱ぐだろう。そうだ。衣服を脱いでパンツひとつになり、庭の草花に水をやったり、体操や縄飛びなどをしているところを、たしかに見たことがある。そう思って、その印象を憶い出そうとするのですが、瞼に浮んでくるのは、猿沢の胸に濃く密生した胸毛の色とか、双腕のぐりぐり筋肉の形とか、そんなものばかりで、背中のことは全然浮んでこないのです。それはそうでしょう。人間というものは、交際や交渉の関係上、お互いの前面をしか眺めないもので、背面をしみじみ眺め合い、それを記憶にとどめ合うなどとは、めったにないことです。あるとすれば、しごく特別の場合でしょう。
 蟹江四郎が猿沢佐介と知合いになったのは、もうずいぶん以前です。かれこれ二年にもなるでしょうか。しかしそれは、知合いになるのが当然であって、しかも初めはなんとなく顔見知りになり、やがてある夜、あることを中心として突然近付きになったのです。この二人の男は、ごく近くに住み合っている、近隣同士の間柄なのでした。お互いの玄関まで、歩いて三分とかからない、…

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