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海辺の窓
うみべのまど
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆79 港」 作品社
1989(平成元)年5月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-02-19 / 2015-01-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

破風をもる煙かすかに
水をくむ音はをりふし
この庵に人はすめども
日もすがら窓をとざせり

 自らかう歌つた私の家の海にむかつた窓はその前に藤棚のたふれたのがいつまでもたふれたままで、それが新らしく芽をふき蔓をのばし、白き花房が気ままに咲き乱れる時分になつても、めつたに雨戸を繰つて開け放たれたことがない。けれどもこの庵にも人は住んでゐるので、庵の主じは終日籠居して、時にしばしば、人に語るすべもない物思ひに耽つてゐることが多い。終日書を読み渋茶をすすり、物思ひに耽つてゐる初老の男は、夜もまたぽつねんとして、灯下の下で墨など磨つてゐるのである。それは十二月も暮れにせまつた、ある月のないまつ暗な夜半のことであつた。その時分のこととて、海はしつきりなしに激しい怒濤のこゑを、窓下の海、やや弓なりに入江になつて折れこんだそこの岩礁の上いつぱいに、百雷の轟くやうに、寸時のやすみもなしに叫びつづけてゐた。私のいつもいふ、まるで急行列車がトンネルに走入つたやうな、その騒音は、夜の夜中、反つてそれをききなれた私の耳には、はげしい刺戟といふよりも一つの平和な常態で、その騒音は、私の耳には、いはばある安定感の保証のやうなものでもあつた。ところが、その夜はふと、その耳を聾しつづけて鳴りひびいてゐる騒音、疾風怒濤の中に、ふつとかすかに人の叫び声のやうなものがきこえた。夜半に墨など磨つてゐる孤独な男といふものは、そんな騒音の中でも、外界のもの音には意外に敏感なものである。私は耳をそばだてた。その叫び声は、しばらくの間合をおいて、私の推量が途方をうしなつて、自分の耳をうたがひはじめる時分にまたふとかすかに、遠い闇の中に、方角もきはめて曖昧に、まぼろしのやうに、ながく尾をひく呼び声となつてきこえてきた。それはそんな風に二三度もくりかへした。その叫びごゑには、何か哀切な、帛をさくやうな、さしせまつた、異常な恐怖を訴へる、誰れにともない救急の呼びごゑのやうな節も感ぜられたし、かと思ふと、そこの入江にのぞんで建つてゐる料亭の広間で、したたかに酔つ払つたひと組の連中が、何かしら胴間ごゑを張り上げてふざけ散らしてゐる、意味もないたは言のやうにもききなされる節があつた。何しろ季節風の烈風が、絶えず雨戸をがたぴしさせてゐる上に、例の急行列車がトンネルに駆けこんだのべつ幕なしの怒濤の声の轟きつづけてゐる中で、まどほな合間をおいてきこえるその声は、何のことやら、私の耳にはさだかに推測のつく訳もなかつた。時間はもう、十二時をすぎて一時にも近い時分だつた。
 朝になると、崖下の渚には時ならぬ人出の気配がして、私はまた改めて不安な気持に襲はれた。遠方から通ひでやつてくる女中が来たので聞いてみると、昨夜河口で若者が四人も溺死をした、いわし船が転覆したのである、あいにく灯台の灯は消えてゐた、それでその時刻に河を下つて港…

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