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武者ぶるい論
むしゃぶるいろん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「堕落論・日本文化私観 他二十二篇」 岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年9月17日
初出「月刊読売 号外版」1951(昭和26)年2月
入力者Nana ohbe
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-06-12 / 2016-03-04
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 妖雲天地にたちこめ、円盤空をとび、巷の天文家は戦争近しと睨んだ形跡であるが、こと私自身に関しては、戦争になっても余り困らない人間だ。どうなろうと運命だから仕方がないという考えは私の持病なのだから。もっとも、運命とみて仕方がねえやと言うだけで、火の子だの地震だの戦争に追いまくられるのが好きな性分ではない。
 強いて闘争を好まず、ただ運命に対処する、という心掛けは、平穏温和の精萃、抜群の平和主義者というべきかも知れない。だから私のような人間はバカげた思想を好む。
 黄河という河はふだんは水がないが、大雨がくると黄土の泥流あふれたって一年に何メートルも河底に泥が堆積する。あげくに河床が平地よりも高くなって二、三十年目には必ず大洪水を起すという因果な河だ。この川が洪水を起すと、昨日まで利根川を流れていた筈の黄河が、今日は天龍川上流辺からドッとあふれて名古屋の海へ流れこみ、その中間の何百方里が湖水になるという大変動をやらかす。五千年前から黄河治水を専門の学者政治家が散々智恵をしぼっても、今日に至るまで、全然五千年間定期洪水の起るがままである。
 そこで今から二千年ほども昔に、水と地を争うべからず、という名論をだした黄河学者がいたのである。つまり洪水と張り合って生きるのはムリだというのだ。防ぎようがないのだから、勝手に洪水を起させておくに限る。その代り、洪水地帯の住民をそっくり洪水のない地方へ移住させてしまえば、洪水がなくなったと同じことだ。こういう名論である。もうちょッとデカダンの学者は、黄河の洪水を天命と見て、だいたい支那というところは百姓どもが人間を生みすぎて困る国だ。洪水のたびに五十万ぐらいずつ死んでしまうのは人口調節の天命であるから、天命に逆らわん方がよろしい、という説を唱えた。唱えた当人は太平楽かも知れないが、天命によって調節される五十万人の一人に選ばれるこッちの方は助からないから、同じ運命論でも、水と地を争わず、洪水は洪水の勝手にまかせ、人間はさッさと逃げてよそへ住みつけという穏やかな方が好ましい。しかし聖賢はこれを巧言令色というね。逃げた土地の先住民は大迷惑であるし、洪水にまかせる大沃野は実利の大損だ。学者は利巧そうな勝手なことを言うが、住民は洪水を承知で実利の方へ戻ってくるに極っているものだ。
 こういう怪物の対策には中間がない。運命にまかせるか、完全にねじふせるか、である。完全にねじふせるのは大変だ。万里の長城の比ではない。近代科学の精萃とマジノラインの何千万倍ぐらいのコンクリートを使用しなければならないだろう。それだけの大資本や科学陣がともなわぬうちは、運命にまかせるよりほかに仕方がないのである。中途半端なアシライよりは逃げるに如かずということが五千年の悪戦苦闘でハッキリしているのだから。
 私は戦争というと黄河を思いだして仕様がない。同じぐらい…

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