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春の遠山入り
はるのとおやまいり
作品ID56895
副題(易老岳から悪沢岳への縦走)
(いろうだけからわるさわだけへのじゅうそう)
著者松濤 明
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 風雪のビヴァーク」 山と溪谷社
2000(平成12)年3月20日
初出「年報」登歩溪流会、1940(昭和15)年
入力者岡山勝美
校正者雪森
公開 / 更新2015-03-16 / 2015-02-18
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

松濤 明 単独
昭和十五年
三月二十三日 晴 伊那八幡―越久保―汗馬沢(泊)
  二十四日 晴 汗馬沢―小川路峠越―下栗―小野(泊)
  二十五日 晴 小野―易老渡―白薙窪―面平(ビバーク)
  二十六日 風雪 面平―易老岳(ビバーク)
  二十七日 晴 易老岳―光岳とのコル―引返し易老岳―仁田岳(ビバーク)
  二十八日 晴 仁田岳―上河内岳―聖岳(ビバーク)
  二十九日 晴 聖岳―兎岳―大沢岳―赤石岳―荒川小屋(ビバーク)
  三十 日 晴 荒川小屋―悪沢岳―椹島(ビバーク)
  三十一日 雨後晴 椹島―二軒小屋(泊)
四月 一 日 晴 二軒小屋―広河原―新倉(泊)
   二 日 晴 新倉―甲府―帰京

遠山入り
三月二十三日 晴
 知らぬ土地は頼りないものだ。飯田の町では様子を知らないために重荷を背負ったまま、さんざんうろつき廻った末、朝夕たった二回きりのバスを見事に乗り逃して、とうとう伊那八幡からはるばる歩く羽目になってしまった。砂埃りのたつ平凡な路を、春とはいえ、照りつける陽の下を、重荷に汗を流しながら歩く気持は良いものではない。靴が新しいせいか、妙に足が摺れるのがいらだたしく、軒昂たる意気もとみに失せて、歩くことが馬鹿馬鹿しくてならなかった。ただ山のかなたの目に見えぬもの、それだけに引きずられて遅々たる行進をつづけた。幸い入山の第一日にしてはコンディションが良いので、路がバス路から離れて里路に入る頃には、どうやら気分も和らいで、四囲の空気とも融和するようになった。総じて伊那の里は明るいが、その中でもこのあたりはとくに明るい。ただ白と緑とコバルトの三つの色で表現しつくされる。地の利のよいせいか、奥まったところにありながら開けており、片田舎の町外れとでもいった感じである。
 小川路峠の路のある低い脊梁が、綺麗な青空を背にして次第に近づいてくる。そのところどころ真白くガレた、青い樹木をふんだんにつけた脊梁は、子供の時代好んで駆け廻った中国地方の低山とよく似ていて、親しいものに巡り会ったような懐かしさを覚えた。下平を過ぎ、越久保に着くと、殺風景な自動車路もようやく終っていよいよ峠の山道が始まり、いくぶん新鮮な気分に戻ることができた。初めのうちは霜どけのひどい泥濘で、新しい靴もたちまち泥だんごになって煩わしかったが、登るにしたがって歩き易くなった。地図に書いてあるぼろぼろの観音堂をすぎると、もう初冬の世界である。路傍の裸になった木に小鳥が群れをなして騒いでいる。近づくとそのたびにいっさんに飛び立って、まるで路案内でもするように上手の木に移ってゆく。一人旅の無聊はこんな些細なものによってもよく打ち払われた。
 尾根に出ると、とたんに視野がパッと展ける。振り返ると天竜川を隔てて穏やかな木曽駒の連峰が蒼空に波うっている。午後の陽は既に西に廻って、こちらの側はも…

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