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紙幣
しへい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「新版・小熊秀雄全集第一巻」 創樹社
1990(平成2)年11月15日
初出「先駆」1930(昭和5)年9月
入力者八巻美恵
校正者浜野智
公開 / 更新1999-06-18 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

紙幣よ、
貴様のためにこの私の詩人が
歌ふのを光栄と思へ、
だが貴様はいふだらう、
――何を生意気な貧乏詩人め、
  イノシシとは一体
  十円札か百円札か知つてゐるか
さういはれてみると一寸胴忘れした
然しそんなことが何の恥辱だらう、
紙幣の図柄をゆつくり
見て居る暇もない程に
貴様はいつも私の右から入つて左へ抜ける
まるで駈足だ。
もし私がブルジョアならば、
お前にもつと親切だらう、
図柄もとつくり見ようし、
一枚一枚アイロンをかけて皺をのばさう、
お前は時代の寵児
お前は向ふところ敵なしだ、
札束で頬ぺたを殴られると
いかに謹厳なる将軍も
莞爾と笑ふ
そして将軍らしく胸を張つて
おもむろに鬚をひねつて
札に向つて言ふ
――うむ、うむ、御苦労じやつたのう、
何が御苦労だ、
凱旋兵か、帰還兵か、斥候かを
迎へるやうに気嫌がよい、
出て行つたものは帰つてくるのが、
当然だといふ態度だ、
あゝ、だが私の詩人のところから
とびだした紙幣の斥候兵は
ただの一度だつて帰つてきたためしがない、
将軍が札束を前にして
やにさがつてゐる間に
戦況は刻々と変化し逆転してゐる、
夫人はデパートの電話をかける
すると自動車が玄関に現はれ
中から飛び出したものは
価格一千円の銀狐だ
夫人は狐を首に巻いて
姿見に立つてみると
狐の顔はにこやかに笑つてゐるやうに見える、
だが事実は反対なのだ、
狐の表情は笑つてゐるのではない、
夫人は狐の硝子製の一見生きたやうに
見える死んでゐる眼を怖れなかつた、
だが狐は夫人の胸元を
爪をもつて蹴りあげながら
――うらめしい
  うらめしい
  鉄砲がうらめしい、
猟師は[#「猟師は」はママ]妻の毛皮の襟巻のために
イノシシの図案のついた札を数へて渡した、
一匹の生きた豚が
紙のイノシシを払つて
一匹の死んだ狐を買つた
紙幣は獣類の世界では
このやうに有効に使はれ
真実の貧しい人間の世界には
てんで廻つてこないのだ、
生きた人間よ、貧しい友よ、
紙幣が紙だといふことを
もつととつくり考へて見る必要があらう、
一枚の紙へはノミノスクネやイノシシが刷られ
一枚の紙は彼女が売娼窟で
貞操を売つた後を*ふのだ――、
一枚のイノシシは優に十人の
娘の貞操を買ふことができる、
一枚のイノシシは優に一人の
人間を醜悪化したり罪人化したり、
君が若し無智で貪慾な夫婦の家の
天窓から一枚の百円札を投りこみ
ぢつと物影から観察してみ給へ、
老婆は一枚の札を手にして
部屋中を駈け廻るだらう、
枕の下に紙幣を敷いて寝たかと思ふと
むつくりと飛び起きる、
――首と一緒に札を盗まれる、
彼は強盗が怖いのだ、
天井裏へ入れてみたり出してみたり、
茶筒に入れれば聟にみつかり、
針箱に入れれば嫁にみつかる、
チャブ台の裏側へ
糊で貼りつければはがれなくなり
水張りすれば乾いてをちる…

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