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三人法師
さんにんほうし
作品ID56946
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「聞書抄」 中公文庫、中央公論新社
1984(昭和59)年7月10日
初出「中央公論」1929(昭和4)年10月号~11月号
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-05-17 / 2016-03-04
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

世に「三人法師」と云う物語がある。いつの時代の誰の作かは明かでない。萬治二年の版があるそうだが、作者はこれを国史叢書の中に収めてある活字版で読んだ。さしたる名文と云うのではなく、たど/\しい稚拙な書き方であるけれども、南北朝頃の世相が窺われる上に、第一の法師から、第二、第三の法師になるほど話が複雑で面白く、組み立てもまとまっているし、哀愁が心の全篇を貫いているところは文学的に相当の価値を認めてよい。ちょうど秋の夜の読み物には適していると思ったので、くどい所や仮名書きのために分らない所は省略もしたし、多少は手を入れたが、大体原文の意を辿って成るたけ忠実に現代語に直してみた。もしいくらかでも古い和文の文脈と調子とを伝えることに成功したら作者としては満足である。



高野の山へ集って来たからにはどうせ世を厭う人々ではありながら、同じ厭離の願いを遂げるにも座禅入定の法もあれば念佛三昧の道もある。山は廣いので思い/\の半出家たちが彼方此方に宿を求め、めい/\己れの性にかなった教について行を修めているのであるが、或る晩そう云う人たちが或る宿房へ寄り合った時だった。一人の僧が、見渡したところ、われ/\はみな半出家ですが、いずれも遁世なされたのにはそれ/″\の仔細があることでしょう、座禅をするのも悪くはありませんけれども、懺悔の徳も罪をほろぼすと云いますから、今夜は一つ皆の衆で懺悔物語をしてはどうですかと云い出して、それをしおにいろ/\な若い頃の想い出話が一座のあいだに弾んだ折、年頃は四十二三であろうか、綻びだらけの衣を着て難行苦行に見るかげもなく痩せ衰えているものゝ、鉄漿をふか/″\とつけて何処かに尋常な俤のある僧の、さっきから隅の方に引っ込んでじっと考え込んでいたのが、ふと、ではわたしの身の上を聞いて下さいますかと云って、しんみりした口調で語り始めた。―――
都のことは定めし方々も御存知でしょうが、わたしはもと、尊氏将軍のおん時に、糟屋の四郎左衛門と申して近侍に召し使われていまして、十三の年から御所へ参り、礼佛礼社、月見花見の御供にはずれたことはなく、まめに仕えていますうちに、或る年のことでした、二条殿へお成りになる御供に附いて行きましたら、折節朋輩どもが寄り集って遊んでいましたものと見え、わたしのところへも使をよこして、速く来ないかと云って来ましたので、まだお帰りには間があるかしらと思いながらお座敷の体をのぞいて見ますと、ちょうど御酒が二三献過ぎた時分らしく、一人の女房が引出物に、廣蓋の上へ小袖を載せて持って出て来るところでしたが、その女房と云うのが、二十にはならないほどのうら若さで、練絹の肌小袖に紅花緑葉の単衣をかさねて、くれないの袴を蹈んで、長い髪を揺りかけている姿の美しさ、染殿の妃、女御更衣と申してもきっと此れほどではあるまいと思われて、あゝ、人間に生れたか…

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