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岸辺
きしべ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「近代浪漫派文庫 29 大木惇夫 蔵原伸二郎」 新学社
2005(平成17)年10月12日
初出鴉「詩学」1964(昭和39)年1月号<br> 暗号「詩学」1955(昭和30)年10月号
入力者kompass
校正者大久保ゆう
公開 / 更新2016-03-16 / 2016-01-01
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


岸辺

冬の日がかんかん照つていた
川岸の枯草の中から首だけ出して
八十九歳の老人が釣をしていた
釣竿をもつたまま
水に映るちぎれ雲の間をおよぐ
冬の魚たちと昔話をしながら
老人は死んでいた
ちかちかと
日はかたむいていた
一匹の紋白蝶が
よたよたと向う岸に渡つていつた

魚たちが老人を呼んでいた
赤い小さなうきが
かすかな波紋をおこして
沈んだり浮いたりしている


不在の人

山すその丘に
古い観音堂がたつている
そこに住む僧を訪ねた
新茶をいつしよに飲もうと
何度か来たのだが
やつぱり 今日も不在だ

堂は三方あけつぱなし
火のない炉にほこりだらけの鍋がかかつて
 いる
ぽつんと一つ
染付の湯呑があつた
風とともにシジミ蝶が飛んできて
湯呑のふちに来てとまつた

堂のむこうに
めずらしく積乱雲の峰がまぶしい


昨日の映像

意識を失いかけたカマキリは
斧を地平線の上に ふりあげたまま
走る雲を ながめたまま
枯草のてつぺんにしがみついたまま
枯草がゆれるとカマキリもゆれる
その青ガラスの瞳に映つているのは
残照にかがやく地平線
小さなシジミ蝶の小さな斑紋
遠くでゆれているアザミの花
それらはすべて昨日の映像のままだ


故郷

故郷をもたない男が
故郷をおもつた
故郷を思うとむやみに喉が渇いた
いつも野原と空がむかい合つていた
ときどき雲があらわれ
ときどき雲が消え
ときどき草の間からバツタが飛んだ




千二百年前に
一人の陶工が残したイメージが
暮れなずむスカンポのやぶに
ころがつている
スカンポの根は夕焼け色だ

その人の創つたこの青い壺の形象から
そのひとの姿がかすかに浮かびあがる

その人は
夕焼けいろの草むらから
音もなく立ちあがつたとおもうと
びつこをひきひき
千二百年の時を逆に歩きだした




広漠たる原野
背に夕陽をうけて 軽快に
飛んでいた 鴉が
突然 死んだ
鴉は高い空から垂直に落下した
と同時に
あかねいろにそまつた野の地平線から
彼の大きな影が
目にもとまらぬ速さで
じぶんの死骸にかけこんできた
この地球に偉大な影を落していた鴉は
心臓マヒだつた


暗号

あの 時間を逆につたわつてくるものは
 何だろう
未来からの暗号
あれは しかし 人間のそれではない
もちろん ありもしない神なんかでもない

あそこの沙漠の
だんだん乾燥してゆく 抽象的な空の下で
地上にのこされたたつた一本の草に
 すがつて
最後の蝶が発信しているのだ



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