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秩父宮殿下に侍して槍ヶ岳へ
ちちぶのみやでんかにじしてやりがたけへ
作品ID57031
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下  」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「女性改造」1923(大正12)年9月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-12-10 / 2015-09-01
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

中房温泉

 荒模様であった空は、夜が明けると少し穏になって、風は強いが雨脚は疎になった。七月二十四日の朝である。松本駅前の旅館に泊っていた槇君と私とは、駅に向って馳せ集る夥しい人の群に、それは秩父宮殿下が今朝此処へ御着きになって、やがて信濃鉄道へ御乗換になる其折の、奉迎奉送の人達であると知りながら、又昨日中房温泉から殿下のお迎に下って来た私等でありながら、忘れてはふと何事が起ったのかと怪しむのであった。
 汽車は定刻の午前七時二十分より可なり遅れて到着した。信濃鉄道では有明駅まで特に臨時列車を運転することになっているので、別に長いこと御待合せの必要もなく、殿下はプラットホームにお立ちになった儘、伺候の人々に謁見を賜わり、お荷物の積入れが済むと直ぐ御乗込みになって、列車は有明駅に向って出発した。
 殿下は御質素な登山服に登山靴というお身軽な御扮装で、御附武官の竹本さんも御用掛の渡辺さんも同じく登山の服装であった、槇君は元より言う迄もない。唯県庁からお伴の列に加わる矢沢君其他の人達や各新聞社の特派員の大部分は、私と同じ草鞋仲間なので、少しは心強くなる。
 有明駅に着く頃から、山は雨に烟っているが、里では雲が切れて幸に雨は歇んだ。前から打合せて置いた通り、槇君に人夫の指図を任せ、私は御先導をつとめて、直に行進を始めた。此辺の土質は花崗岩の※爛[#「雨かんむり/誨のつくり」、U+9709、543-7]した砂地である為に、雨は降っても道は濘らない。路傍の草なども綺麗に刈り払われてあった。途中特に有明小学校に御立寄になって、天蚕飼育の状況や、天蚕糸を原料とした各種の製品を仔細に御覧になり、校庭には記念の松を御手植になった。有明村は有名な天蚕飼育地であるから、地方の産業に深く御心を留めさせられる殿下の台覧を仰いだ当事者は、さぞ忝く思った事であろう。
 村々の沿道には、老若男女が堵列して殿下をお迎え申上げていた。殿下がお弁当や写真機や雨具などの御品を入れさせられた重そうなリュックサックを御自身お背負になり、ピッケルを御手に、ゆったりした御足取で歩まれながら、路傍に立って礼拝する人達に帽子を取って一々御会釈を賜わる御姿を拝して、その御無造作に驚くまでに感激しない者はなかったであろう。殿下の御強健にましますことは兼て拝承していたが、実際毎日二貫目から三貫目をお背負になって、険しい山路に少しも御艱みのさまがあらせられなかったのには、随行の誰もが今更のように恐れ入ってしまったのであった。
 宮城の有明神社に御着きになったのは九時半頃であった。祐明門や拝殿などの構造が精巧であるところから、俗に信濃日光の称がある。時間はまだ早いけれども、此処で御中食をなさる御予定であったので、社務所では特に舞殿を装飾して、御休息所に充る積りであったらしい。されど殿下は神社に御参拝になると、いと御気軽…

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