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人類の誇大狂
じんるいのこだいきょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」 筑摩書房
1974(昭和49)年9月20日
初出「教育学術界」1904(明治37)年5月
入力者矢野重藤
校正者y_toku
公開 / 更新2015-10-19 / 2015-09-01
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 精神病患者の中には一種自分が非常に有力な神聖なものである如くに思ひ込んで、万事その積りで行ふ者がある。例へば自分が実際人力車夫であるにも拘らず、総理大臣に成つた積りで、伊藤を外務大臣にしやうか、井上を内務大臣にしやうかなどと、其様なことばかりを考へ、医者が来れば之を秘書官の如くに取扱ひ、時々筆を取つて、某を何県知事に任ずるとか、某を従何位に叙するとかいふ辞令書を書いて居る患者がある。また自分が実際、天秤棒を担ぐ八百屋であるにも拘らず、神か仏に成つた積りで、総べて極めて尊大に構へる病人がある。斯様な病症を医者の方では誇大狂と名づける。
 扨この誇大狂と云ふ病気は瘋癲病院に入つて居る金箔附の狂気に限ることであらうか。自分は健全な積りで病院などには入らずに居る我々は、決して此病に罹つては居らぬか。我々は自分が実際あるよりは、遙に高尚な神聖な有力なものである如くに思ひ込んで居る様なことは決して無いであらうか。此等の問題に答へるには、先づ我々の今日有する実験上の知識を基として虚心平気に宇宙に於ける人類の位置を考へ、其の結果に照らして判断しなければならぬが、斯くして見ると、我々普通一般の人間も多少この病気に罹つて居らぬ者は無い様である。
 抑々宇宙とはどの位の広さの有るものかと考へるに、晴天の夜に当つて天を仰げば、一面に星が見えるが、我が太陽系に属する若干の遊星を除けば、他は総べて太陽と同じ様な恒星で、肉眼で見えるものだけを算へても四五千はある。天文学者は地球に達する光の強弱に依つて星を数等に分けるが、肉眼で見えるのは、其の中の一等星から六等星位までに過ぎぬ故、極めて小部分のみである。今日の望遠鏡を用ひて見れば十九等星、二十等星などと称する微な星までも見える故、その数を総計すると、少なく見積つても二千万以上は有らう。然して此等の星は地球からどの位の距離にあるかと云ふに、其の最も近いものでも、地球まで光線が達するには殆ど四年位を要する。其の次に最も近いものからは凡そ六年半を要する。遠いものに至つては、光線が地球まで達するには数千年も掛かる程である。光線は一秒間に七万五千里も走る極めて速力の速いもので、三千七百万里も距つてある太陽から僅に八分余で地球に達することが出来るが、此の非常な速力を以て数千年も掛からねば届かぬと云ふ様な距離は到底我々には明に想像することも出来ぬ。
 仮に或る人が地球から最も近いアルファ、ケンタウリと云ふ恒星まで移住して、其所から太陽系の方を眺めたならば如何に見えるであらうかと云ふに、たゞ太陽だけが一点の輝く星と見えるのみで、其の周囲を廻転する水星、金星、地球、火星等の如きものは素より少しも見えぬに違ひない。宇宙の広さに比べては、我が太陽系の如きは殆ど何の大さもない一の点に過ぎぬ。宇宙には望遠鏡で見えるだけでも、我が太陽系と同等なものが二千万以上もあ…

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