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古句を観る
こくをみる
作品ID57179
著者柴田 宵曲
文字遣い新字新仮名
底本 「古句を観る」 岩波文庫、岩波書店
1984(昭和59)年10月16日
入力者kompass
校正者酒井和郎
公開 / 更新2017-01-01 / 2017-01-01
長さの目安約 337 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

はじめに

 ケーベル博士の常に心を去らなかった著作上の仕事は「文学における、特に哲学における看過されたる者及忘れられたる者」であったという。この問題は一たびこれを読んで以来、またわれわれの心頭を離れぬものとなっている。世に持囃される者、広く人に知られたものばかりが、見るべき内容を有するのではない。各方面における看過されたる者、忘れられたる者の中から、真に価値あるものを発見することは、多くの人々によって常に企てられなければならぬ仕事の一であろうと思われる。
 古句を説き、古俳人を論ずる傾向は、今の世において決して乏しとせぬ。見方によっては過去のあらゆる時代より盛であるといえるかも知れない。ただわれわれがひそかに遺憾とするのは、多くの場合それが有名な人の作品に限られて、有名ならざる人の作品は閑却されがちだという点である。一の撰集が材料として取上げられるに当っては、その中に含まれた有名ならざる作家に及ばぬこともないけれども、そういう撰集を単位にして見れば、これもまた有名な集の引合に出されることが多く、有名ならざる俳書は依然として下積になっている。有名な作家、有名な俳書に佳句が多いということは、常識的に一応尤な話ではあるが、その故を以て爾余の作家乃至俳書を看過するのは、どう考えても道に忠なる所以ではない。
 芭蕉を中心とした元禄の盛時は、その身辺に才俊を集め得たのみならず、遠く辺陬の地にまで多くの作家を輩出せしめた。本書はその元禄期(元禄年間ではない)に成った俳書の中から、なるべく有名でない作家の、あまり有名でない句を取上げて見ようとしたものである。勿論有名とか、有名でないとかいうのも比較的の話で、中には相当人に知られた作家の句も混っているが、その場合は人口に膾炙した、有名な句をつとめて避けることにした。比較的有名ならざる作家の、比較的有名ならざる俳句の中にどんなものがあるか、それは本書に挙げる実例が明に示すはずである。
 われわれは沙の中から金を捜すようなつもりで、閑却された名句を拾い出そうというのではない。自分一個のおぼつかない標準によって、妄に古句の価値を判定してかかるよりも、もう少し広い意味から古句に注意を払いたいのである。従って本書に記すところも、いわゆる研究とか、鑑賞とかいうことでなしにわれわれのおぼえ書に類することが多いかも知れない。われわれは標題の通り「古句を観る」のである。もしその観た結果がつまらなければ観る者の頭がつまらないためで、古句がつまらないわけでは決してない。

昭和十八年八月十日

著者
[#改丁]
[#ページの左右中央]


新年


[#改ページ]


 順序上新年の句を最初に置くことにする。今の新年は冬の中に介在しているが、昔の新年は春の中にあった。従ってその空気なり、背景なりには、大分今と異ったものがある。古人も俳書を編むに当…

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