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幽霊
ゆうれい
作品ID57196
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」 光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日
初出「新青年」博文館、1925(大正14)年5月
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-08-28 / 2016-06-10
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「辻堂の奴、とうとう死にましたよ」
 腹心のものが、多少手柄顔にこう報告した時、平田氏は少からず驚いたのである。尤も大分以前から、彼が病気で床についた切りだということは聞いていたのだけれど、それにしても、あの自分をうるさくつけ狙って、仇を(あいつは勝手にそう極めていたのだ)うつことを生涯の目的にしていた男が、「彼奴のどてっ腹へ、この短刀をぐっさりと突きさすまでは、死んでも死に切れない」と口癖の様に云っていたあの辻堂が、その目的を果しもしないで死んで了ったとは、どうにも考えられなかった。
「ほんとうかね」
 平田氏は思わずその腹心の者にこう問い返したのである。
「ほんとうに何んにも、私は今あいつの葬式の出る所を見届けて来たんです。念の為に近所で聞いて見ましたがね。やっぱりそうでした。親子二人暮しの親父が死んだのですから、息子の奴可哀相に、泣顔で棺の側へついて行きましたよ。親父に似合わない、あいつは弱虫ですね」
 それを聞くと、平田氏はがっかりして了った。邸のまわりに高いコンクリート塀を繞らしたのも、その塀の上にガラスの破片を植えつけたのも、門長屋を殆どただの様な屋賃で巡査の一家に貸したのも、屈竟な二人の書生を置いたのも、夜分は勿論、昼間でも、止むを得ない用事の外はなるべく外出しないことにしていたのも、若し外出する場合には必ず書生を伴う様にしていたのも、それもこれも皆ただ一人の辻堂が怖いからであった。平田氏は一代で今の大身代を作り上げた程の男だから、それは時には随分罪なこともやって来た。彼に深い恨みを抱いているものも二人や三人ではなかった。といって、それを気にする平田氏ではないのだが、あの半狂乱の辻堂老人ばかりは、彼はほとほと持てあましていたのである。その相手が今死んで了ったと聞くと、彼はホッと安心のため息をつくと同時に、何んだか張合が抜けた様な、淋しい気持もするのであった。
 その翌日、平田氏は念の為に自身で辻堂の住いの近所へ出掛けて行って、それとなく様子を探って見た。そして、腹心のものの報告が間違っていなかったことを確めることが出来た。そこで愈々大丈夫だと思った彼は、これまでの厳重な警戒を解いて、久しぶりでゆったりした気分を味わったことである。
 詳しい事情を知らぬ家族の者は、日頃陰気な平田氏が、俄に快活になって、彼の口からついぞ聞いたことのない笑声が洩れるのを、少なからずいぶかしがった。ところが、この彼の快活な様子はあんまり長くは続かなかった。家族の者は、今度は、前よりも一層ひどい主人公の憂鬱に悩されなければならなかった。
 辻堂の葬式があってから、三日の間は何事もなかったが、その次の四日目の朝のことである。書斎の椅子に凭れて、何心なく其日とどいた郵便物を調べていた平田氏は、沢山の封書やはがきの中に混って、一通の、可也みだれてはいたが、確かに見覚えのある手…

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