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随筆銭形平次
ずいひつぜにがたへいじ
作品ID57221
副題07 ペンネーム由来記
07 ペンネームゆらいき
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(十二)狐の嫁入」 嶋中文庫、嶋中書店
2005(平成17)年6月20日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-10-15 / 2019-11-23
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 筆名の由来をよく訊かれる。胡堂などというのは、徳川末期の狂詩でも捻る人にありそうで、どう考えても現代人のペンネームではない。いつか村松梢風氏が「お互に古風な筆名を持っているが、こんなのはもう流行らないね」と言ったことがあるが、まことに同感に堪えない。
 親のつけた名は長一という。長四郎の長男で長一、至極簡単明瞭な名だが、この名前、世間にザラにありそうで、滅多にないから不思議である。昔では、織田信長の家来に、美濃金山の城主、森武蔵守長一というのがあり、森蘭丸の兄で、鬼武蔵と言われた豪勇の侍だが、二十七歳で若死している。尤も武蔵守長一の方は、ナガカズと読ませたらしい。
 私の長一はオサカズと読むのが本当で、子供の時私はそう呼ばれた。五十年前くらいまでは村へ帰ると近所の老人達はそう呼んでくれたものである。それが何時の間にやらチョウイチとなり、今では私自身でも振仮名を付ける場合は、チョウイチと書いている。
 胡堂の方は、大正初め、新聞の政治記者をしている頃、政閑期には政治面の「かこいもの」という閑文字を書いていたが、筆名がないので、長某と署名すると、編集局の悪童共が、「お前も雅号を拵えろ」と言うのである。その頃は筆名ともペンネームとも言わず、親の付けた名前でない、気取った仮名を昔からの言い慣わしで雅号と言ったものである。映画を活動写真、レコードを種板と言った時代のことである。
「何かいいのをつけてくれ」と言うと、編集の助手達が、「お前は東北の生れだから、蛮人はどうだ、強そうで良いぞ」と言うのである。「蛮人では可哀相だ、人食い人種みたいじゃないか」と言うと「それでは胡堂と付けろ、胡馬北風に依るの胡だ、秦を亡ぼすものは胡なりの胡だ。堂という字はそれ、木堂、咢堂、奎堂などといって皆んなエライ人は堂という字をつける。それにきめておけ」と本人の私の意見などを無視して、翌る日の新聞の閑文字から、胡堂という署名が入ったわけである。
 それから、社会部の音頭を取って、部長というものに祭り上げられ、新聞に専念させるために、社の方針で他の新聞雑誌に一切書くことを禁じられ、しばらく胡堂という雅号も、実際に用いる折もなく、権利だけを留保して、温めておいたのであるが、大正十一年社会部長をよして学芸部長になり、再び雑文や、短評などを書いて、七年目にカビの生えた雅号を取り出し、昭和二年始めて「奇談クラブ」という小説を書いた時、本名を名乗るのも極りが悪く、新たに筆名を拵えるのも面倒臭いので、はなはだ不精ではあったが、堅いものを書いた昔の雅号をそのまま、胡堂と署名してしまったが、今日まで道連れになった因縁である。
「あらえびす」の方は、新聞に音楽や、絵のことを書くのに、胡堂でははなはだ堅いので、胡という字を柔らかく訓んで、「あらえびす」としたまでのことである。「袖萩祭文」という芝居の中に、桂中納言…

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