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悪魔の紋章
あくまのもんしょう
作品ID57240
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸川乱歩全集 第12巻 悪魔の紋章」 光文社文庫、光文社
2003(平成15)年12月20日
初出「日の出」新潮社、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
入力者門田裕志
校正者北川松生
公開 / 更新2017-03-31 / 2017-01-12
長さの目安約 307 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

劈頭の犠牲者

 法医学界の一権威宗像隆一郎博士が、丸の内のビルディングに宗像研究室を設け、犯罪事件の研究と探偵の事業を始めてからもう数年になる。
 同研究室は、普通の民間探偵とは違い、其筋でも手古摺るほどの難事件でなければ、決して手を染めようとはしなかった。所謂「迷宮入り」の事件こそ、同研究室の最も歓迎する研究題目であった。宗像博士は、研究室開設第一年にして、すでに二つの難事件を見事に解決し、一躍その名声を高め、爾来年毎に著名の難事件を処理して、現在では、名探偵と云えば、明智小五郎か宗像隆一郎かというほどに、世に知られていた。
 天才明智は、その生活ぶりが飄々としていて、何となく捉えどころがなく、気に入った事件があれば、支那へでも、印度へでも、気軽に飛び出して行って、事務所を留守にすることも多いのに反して、宗像博士の方は、明智のような天才的なところはなかったけれど、あくまで堅実で、科学的で、東京を中心とする事件に限って手がけるという、実際的なやり方であったから、期せずして市民の信頼を博し、警視庁でも、難事件が起ると、一応は必ず宗像研究室の意見を徴するという程になっていた。
 事務所なども、明智の方は住宅兼用の書生流儀であったのに反して、宗像博士は、家庭生活と仕事とをハッキリ区別して、郊外の住宅から毎日研究室へ通い、博士夫人などは一度も研究室へ顔出しをしたことがなく、又研究室の二人の若い助手は、一度も博士の自宅を訪ねたことがないという、厳格極まるやり口であった。
 丸の内の一郭、赤煉瓦貸事務所街のとある入口に、宗像研究室の真鍮看板が光っている。赤煉瓦建ての一階三室が博士の探偵事務所なのだ。
 今、その事務所の石段を、這うようにして上って行く、一人の若い背広服の男がある。二十七八歳であろうか、その辺のサラリー・マンと別に変ったところも見えぬが、ただ異様なのは、トントンと駆け上るべき石段を、まるで爬虫類ででもあるように、ヨタヨタと這い上っていることである。急病でも起したのであろうか、顔色は土のように青ざめ、額から鼻の頭にかけて、脂汗が玉をなして吹き出している。
 彼はハッハッと、さも苦しげな息を吐きながら、やっと石段を昇り、開いたままのドアを通って、階下の一室に辿りつくと、入口のガラス張りのドアに、身体をぶッつけるようにして、室内に転がり込んだ。
 そこは、宗像博士の依頼者接見室で、三方の壁の書棚には博士の博識を物語るかの如く、内外の書籍がギッシリと詰まっている。室の中央には畳一畳敷程の大きな彫刻つきのデスクが置かれ、それを囲んで、やはり古風な彫刻のある肘掛椅子や長椅子が並んでいる。
「先生、先生はどこです。アア、苦しい。早く、先生……」
 若い男は床の上に倒れたまま、喘ぎ喘ぎ、精一杯の声をふり絞って叫んだ。
 すると、唯ならぬ物音と叫び声に驚いたのであろう、隣…

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